元寇として知られる蒙古襲来ですが、日本側からの視点だけでは見落としや間違いもありそうです。
本書冒頭に書かれているように、日本人が書いたモンゴルなどを扱った小説ではモンゴル人が聞いたら驚くような描写も数々あるようです。
やはり各国が関係することは双方の視点から見ていかなければならないということです。
なお、まえがきを見てこの著者の宮脇さんは実は先年亡くなった東洋史学者の岡田英弘さんの奥様であり共同研究者であったということが分かりました。
岡田さんの本は何冊か読んだことがあり、モンゴルなどの遊牧地帯から見たアジア史、世界史というものを作り上げていたものでした。
この本でもやはり岡田さんの視点と共通したものが基本となっているようです。
第1章は「日本人のモンゴル観」としてモンゴルを扱った小説などに見られるそれがモンゴル人の感覚からはかなり離れているということを示しています。
1960年に出版された井上靖の「蒼き狼」は広く読まれました。
そもそも「蒼き」と訳した「ボルテ」ですが、もともとは動物の毛色で「斑点のある」という意味です。
それを漢語訳した時に「蒼色」としたのですが、それも「濃い緑色」と言う意味と「胡麻塩色」と言う意味の二つがありました。
しかし日本語に来てしまうと「胡麻塩」という意味はなくなり、「濃い緑」だけになってしまいました。
さらに大きな間違いが、「テムジンの出自の悩み」でした。
テムジンの父イェスゲイはテムジンの母になるホエルンを他の部族の男から略奪して妻としました。
そのため、テムジンは自分が本当にイェスゲイの子どもかどうか悩んだというのが井上本の題材になっています。
しかしこれはモンゴル人にとっては理解できないことのようです。
日本人がこの小説に基づいて作った映画を見たモンゴル人が「チンギス・ハーンのような世界制覇をした男がそのようなことをうじうじと悩むような女々しい性格ではない」と怒ったそうです。
さらに、井上はテムジンに女性蔑視の見方をさせていますが、これもモンゴルではあり得ないとか。
モンゴル文化では女性は非常に尊重されており、それは昔から変わっていないそうです。
元寇は「蒙古襲来」と言われますが、その内容としてはモンゴル人はほとんどいなかったと言えます。
モンゴル人は征服した民族にすべてを任せてその税収だけを納めれば満足します。
それは海外遠征でも同様で、日本などに攻め込むのにモンゴル人が直接出かけることはあり得ないと。
高麗を中心にその他の降伏した民族からできていたのが元軍の実態でした。
そもそも第一次遠征(文永の役)の総司令官自体、モンゴル人とは考えられません。
ヒンドゥ(漢字表記では忻都)というのですが、どこの出身かということも分かりません。
そもそも元史という歴史書の他の部分にも全く見えない名前です。
そのような人物が総司令官ということですから、元朝としてもあまり重要視はしていなかったようです。
侵攻開始の前に6回元朝からの使いがやってくるのですが、これもほとんどが高麗人か漢人のようです。
なお、この6回の使いは皆無事に帰国しています。
文永の役の後、弘安の役の直前にやってきた使いだけが殺されました。
台風だったかもしれない「神風」というものはやはり大したものではなかったようです。
それで艦船が全滅ということはありません。
どうやら、食料や水、弓矢などの補充が全くできず、その欠乏のために戦争継続は難しくなり、大風で少し船が損傷したのを口実にして引き揚げたようです。
モンゴルの襲来を退けたのは日本だけといった間違いもあるようです。
東方、東南、南方に軍を差し向けますが、いずれも失敗しています。
どうやら故郷の風土に近い西方に向かった軍以外はまともに動けなかったようです。
なお、岡田さんの本の時はそれほど感じなかったことですが、宮脇さんは朝鮮という場所、民族に対してかなり嫌悪感を持っているように感じました。
