爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「漢字とは何か 日本とモンゴルから見る」岡田英弘著、宮脇淳子編・序

中国を中心としたアジアの歴史から、世界史までを見据える歴史観を持ち、これまでの概念を覆すような著書を数多く著した岡田英弘さんですが、2017年にお亡くなりになりました。

岡田さんの著作の中には、特に「漢字」というものに着目しそこから様々なことを見出したものが数多くありました。

そういった著作を岡田さんの弟子にして夫人でもあった宮脇淳子さんがまとめて一冊の本としたものです。

 

その出典は1970年代から亡くなる直前までと非常に長い期間にわたったもので、また内容が重複する部分もありますが、それは特に岡田さんが強調したいことであろうと感じられます。

 

第1章では「シナにおける漢字の歴史」(岡田さんはその信条から必ず”シナ”と表しています)と題し、始皇帝による焚書坑儒の時代から現代に至るまで漢字というものと中国人の関わりについて持論を展開しています。

秦の始皇帝焚書坑儒は日本では思想統制の意味が強いと考えがちですが、実際にはとにかく「字体の統一」という意味が強かったということです。

戦国時代には諸子百家というグループの活動が行われましたが、それらの中で用いられている文字も言葉もそれぞれ独自のものであまり汎用性は無かったということです。

それを統一国家として一つのものにするというのが一番の目的でした。

 

それ以前も含めて、中国では多くの民族が入り混じりその言葉も統一性はありません。

これは現在でもそうであり、方言と言われていますが実際にはほとんど別の言語と考える必要があります。

そういった状況で何とか意味をやり取りするために使われたのが漢字であり、そもそも話し言葉を表すような意図はなかったということです。

つまり、現在でも日本人と中国人が漢字を用いて筆談でそこそこ意志を通じることができるのですが、これは中国国内でも昔から同様であり、話し言葉で通訳することは不可能で筆談で済ませていたのだと。

 

さらにそういった漢字の用途の中には「感情表現」ということは入っていませんでした。

そのため、中国の歴史を長く見ても人間の感情を描く小説というものがほとんど発達していません。

その点、日本人はそちらの方ばかりが発達しているようですが、これは漢字を受け入れて仮名を作り出しそれらを上手く組み合わせて色々な表現を可能とした日本語の機能性に大きく左右されていたということです。

なお、「表現ができない」ということは実は「そういう感情の発達も遅れる」ということです。

 

第2章は「日本の影響を受けた現代中国語と中国人」とし、特に明治期から戦前にかけて多くの中国の若者が日本に留学し、その知識を持ち帰り中国の近代化を成し遂げたのですが、それについて魯迅や陶晶孫、郭沫若といった人物の略伝を載せています。

郭沫若はその後中国共産党でも昇進を果たしていますが、人間的にはそれよりも日本人の妻子を大切にした陶の方に共感できそうです。

 

第3章は「文字と言葉と精神世界の関係」です。

精神世界というものは実はそれに用いる言語と文字によって大きく左右されます。

日本人は物を深く考える場合には日本語を用いますが、これは海外に在住し仕事などではその土地の言語を使う場合でも多くはそうします。

しかし国によってはその言語が未発達で外来語(英語など)で物を考える人がいるところもあります。

マレーシアはその例であり、建国当時から華人やインド人が多い中で自国の独立を成し遂げるために比較的少数のマレー人の言葉を公用語としました。

しかし、マレー語というのは経済的や学術的にはまったく未発達の言葉であったため、無理やりそれらを創作していきました。

とはいえ、なかなか完成には至らず教養ある人々の多くは英語で物を考えることになっているようです。

 

これは実は大和時代の日本でも同じだったのではないかと岡田さんは見ています。

倭国倭人が住み倭の言葉があったかのように考えられていますが、実際には多くの中国や朝鮮からの渡来人が主流であり、その中でわずかに倭人が居たというものでした。

そこでかなり人為的に作られていったのが日本語だったということです。

その作成の過程は万葉集を見ても分かることであり、その時代によって表記も変わっていき徐々に安定化していくのが見えるそうです。

 

岡田さんの主張は一般的な学説、定説とはかなり違いがありますが、ここに真実があるのではと思わせるものがあり、興味深いものです。