脱炭素化という掛け声ばかりが高くなり、一見すると世界中がそちらに向かって走り出すかのように感じるかもしれません。
脱炭素化、すなわち石油や石炭などの化石燃料の使用を抑えるということ自体は積極的に進めることが必要なのですが、現在使われているこの言葉の意味はそうではありません。
ほとんどの場合、「太陽光発電と風力発電を進める」と「自動車の電気化」に限られると言っても良いでしょう。
他にも「水素発電・水素エンジン」「アンモニア混焼」「原発」なども言われますが、前2者はまだまだ実験段階、原発は実施困難の状況が続いていて不透明です。
それに対し、「太陽光・風力発電」と「電気自動車」はすでに多くの実施例があり、さらにその動きを強めようとしています。
しかしことはそれほど簡単ではなく、さらに補助金などを注ぎ込んで行けばどうなるか。
それを予測してみましょう。
まず、「太陽光・風力発電」です。
近代資本主義ではどのような製品を作る場合でも常に経済的コストと効率性を追求してきました。
しかしこれらの発電装置ではそれが見事なほどにないがしろにされています。
投入エネルギーに対して生み出すことのできる出力エネルギーの比率を示すEPR(Energy Profit Ratio)の数値が今はまだきちんと算出することができていないと思いますが、その大甘の公表値でもかなり低い値です。
実際はそれよりもかなり低く、エネルギー装置として存在意義すら疑わせるものと思います。
とにかく、そのように低いEPRの装置が大量に出回り、設置され電力供給を担うなどということになればどうなるのか。
これはもう、電気料金の大幅アップは間違いないことでしょう。
現在でもかなりの比率で電気料金に上乗せされている賦課金(FIT)がさらに上昇、そして本体の電力料金自体も上昇することになります。
このような電力価格上昇が国全体の経済運営に悪影響を与えないはずはありません。
さらにこういった不安定な電力供給源が増加することにより電力の安定化が不可避となりますが、それに要する蓄電池などを備えるということになれば、さらにコストは悪化しエネルギー効率も低下します。
これらを避けるような技術改良は困難でしょうし、この後いくら時間が経っても大した成果は得られないでしょう。
そのような電力調達の困難さが顕在化した世界はどうなるか。
実はこのようになるのは世界のごく一部にしかすぎません。
脱炭素化を宗教のように信じて取り組もうというのはヨーロッパの他はアメリカの一部と日本だけでしょう。
つまり上記で予想したような経済運営の困難はそれらの国にのみやって来るということです。
現在でも脱炭素化に否定的でまともに取り組もうとしない国は途上国を中心にかなり多数に上ります。
こういった国々はこれまで通り安価な石炭火力発電などでエネルギー調達を行い、それを用いた製造で安価な製品を作り続けるでしょう。
これらのリーダー格がBRICSつまりロシア・中国・インド・ブラジル・南アフリカであり、その他の途上国もそれに追随するでしょう。
つまりここで今の国際秩序が劇的に逆転する可能性があるということです。
欧米日がそれを黙って認めるかどうか。
さらに大きな不安定化が世界を襲うことになります。
「電気自動車」はどうか。
水素電池化とか水素エンジンなどと言う話も出ていますが、現在実用化の域に達しているのは蓄電池を使った電気自動車のみでしょう。
最近テレビCMで良く流れていますが、軽自動車タイプのものも発売されそれにも国からの補助金が55万円、それを計算に入れても本体価格180万程度とか。
ガソリンエンジン車では同程度の物が140万程度でしょうから、まだ100万円近くは価格が高いということです。
ガソリン車の主要部品はエンジン関係でしょうが、電池車ではそれはモーターというよりは蓄電池にあるのでしょう。
つまりガソリン車との価格差の大部分は蓄電池価格にあるということです。
そしてその多くはレアメタルの価格だということでしょう。
バッテリーの開発は今でも多くの労力と資金を使って続けられており、さらなる高効率を求めるとともに、必要な資源が得やすくコストも安いものを目指しているはずです。
しかし現状では中国などに供給の根元を握られているレアメタルに頼り切りです。
「大量生産神話」というものがあり、かつての自動車、最近のコンピュータや通信機器などのように、大量に売れてくれば生産効率も上がり、価格は劇的に降下し性能は爆発的に上昇すると信じる人が多いようです。
しかし、レアメタル頼りの蓄電池の場合にはそれは当てはまりません。
このような資源制約に縛られるものの場合は、大量に生産しようとすればするほどその制約が厳しくなるばかりです。
なお、この蓄電池の場合は電気自動車だけでなく電力供給の安定化のためにも必要となります。
資源制約はさらに厳しくなる一方でしょう。
しかもその相手が「中国」
その中国を相手に緊張を高めるなどと言うのはどういう考えなのでしょうか。
まるで太平洋戦争の前に石油の主な購入先であるアメリカを相手に緊張を高めていったという完全な愚策を再現しているかのようです。
中国を敵視するのなら、せめてレアメタルの供給元を確保してからにするべきでしょう。
結局、今言われているような「脱炭素化」というものはどうにも進めようのないことだということです。
ただし、いつまでも化石燃料に頼ることができるとは思えません。
いや、多くの人が軽く考えている以上に化石燃料に頼ることの危険性があると思います。
もしも化石燃料に枯渇の兆候が見られたらどうなるか。
それこそ現在のエネルギー依存文明の存立自体が危うくなるでしょう。
そのためにも、「本当の脱炭素化」すなわち「エネルギー依存性を低くする」方向での文明の再構築が必要なのです。
今のような「似非脱炭素化」は結局のところ資源とエネルギーを無駄使いするばかりです。
日本は今でも二流国以下になり果てましたが、このままではそれ以下に落ちそうです。