日本語学を専攻し、日本語と歴史について研究されている今野さんの本はこれまでも3冊読んでいますが、今回も歴史と日本語について古い時代から近代まで広く取り上げています。
歴史というものは、文字以外の考古学史料でも補強されますが、やはり文字で書かれたものが一番の証拠と言えます。
ところが、名前だけは有名な歴史的史料で、内容もよく知られているようなものでも、意外にその史料が「どのように書かれているか」ということは意識されていないようです。
古代の日本に中国から漢字が伝わったのですが、徐々にそれを使って「やまとことば」を書き表す「万葉仮名」としての使い方も生み出していくものの、多くの文章は漢文として書かれました。
聖徳太子が憲法十七条を作ったと言われており、その歴史的事実には諸説あるようですが、憲法十七条という文章がある程度古い時代から存在していたのは間違いないところです。
その有名な言葉に「和を以て貴しとなす」というのがあり、教科書にも載せられていましたので多くの日本人が知っていると思いますが、実はこれもこのような書き下し文で書かれているわけではありません。
原文は漢文で、以和為貴 と四文字で書かれています。
しかも、それはその次の四文字、「無忤為宗」と四字句を対にした表現で、漢文としての作りとなっています。
しかも、この表現は礼記の中に同じような意味で含まれており、それを十分に意識したものとなっています。
これを書いた人(聖徳太子)の意識の中に本当にこれに対応するやまとことばがあったかどうか、これを見ただけでは分からないようです。
「日本書紀」の解釈は本当に妥当なのかということも、実は確定している問題ではありません。
日本書紀の中では多くの固有名詞を漢字を当てて表現されていますが、これも長い間の研究の積み重ねで一応の定まった訳を当てられていますが、本当にそれで合っているのかと言えばそうとも言えない部分が多く見られます。
固有名詞以外の部分は、実は漢文として書かれています。
漢文というのは非常に自由な読み方がされますので、これも定訳というのがあるとは言えないものです。
平安時代には「国風文化」という言葉もあるように、漢字からひらがな、カタカナが作られ、やまとことばを仮名で書き表す、「平安女流文学」というものが生まれます。
しかし、その代表的なものと言われる「枕草子」も、漢語と無縁ではありえません。
冒頭の「すさまじきもの」の文に挙げられているものには、コウバイ(紅梅)、ジカロ(地火炉)、ハカセ(博士)、セチブン(節分)などが含まれていますが、これらは皆漢語です。
漢語名のものがそのまま日本の日常生活に取り入れられているために、漢語をすべて排除するということはできません。
江戸時代には、幕府の基本法として、「武家諸法度」が作られ公布されました。
2代将軍秀忠の時に発令され、その後5回改定されました。
その法度がどのように書かれていたか、これについてはあまり意識されていないのですが、非常に興味深いものです。
元和令(秀忠) 漢文体
寛永令(家光) 漢文体
寛文令(家綱) 漢文体
天和令(綱吉) 和漢混淆体
正徳令(家宣) 和文体
享保令(吉宗) 和漢混淆体
内容も少しずつ改定されているのですが、それ以上に書かれている「文体」が変化しているというのは面白いものです。
原文がどう書かれているかということは、その専門の研究者以外にはあまり意識されていないものかもしれません。
しかし、そこに着目すると色々と面白いものが見えてくるようです。