テレビでは漢字のクイズといった番組も時々見かけますが、日本人の漢字というものに対する姿勢はその本家の中国人、また同じような状況を経てきた韓国人と比べてもかなり異なるようです。
この本では、漢字の歴史という面から、中国での漢字の誕生と発展、そして周辺各国への伝播ということも扱いますが、主題はやはり日本での漢字の変化と多様性、そして日本人の漢字に対しての思い入れといったものです。
日本語の乱れということが言われますが、言語というものは時代により移り変わるものです。
言葉も変わりますが、文字も変わっていきます。
著者の若い頃に、「秋桜」という歌が流行りました。
まだ中学生で言葉の変化ということも受け入れられなかった著者は、辞書にも載っていないような「秋桜=コスモス」という言葉に怒ったそうです。
しかし、大流行した歌とともに、この読み方も全国に認められ、そのうちに国語辞典にも載ったそうです。
その時点の辞書の記述だけが正しいということはなく、世間の後追いをするのが辞書だということです。
仏教はインドで生まれ中国には後漢の時代に伝わりました。
外来の思想を取り入れるにあたり、中国では言葉ごと受け入れなければなりませんでした。
しかし、インドではフェニキア系の文字が使われており、言語の系統も全く中国とは違います。
そこで仏教用語も読み方をそのまま当て字をして中国語化したものが多くなりました。
摩訶般若波羅蜜多といったものがそれですが、般若の元の言葉パンニャーの意味をとって「智慧」という言葉も使われます。
日本に漢字が伝わったのは諸説ありますが、1世紀頃と考えられます。
有名な金印、奴国王印で、そこには篆書で文字が書かれています。
日本人はヤマト言葉を話していたのでしょうが、漢字を伝えた中国人の話から、どのような事物がその文字に当たるかということを習い、「山」という漢字は「サン」と読むが「やま」という意味だということが分かってきます。
この「訓読み」という漢字の使い方を発明したのが日本人の特性でした。
また、漢字の元の読み方を「音読み」として取り入れ、そこから「表音文字」としての使い方も作り出してしまいます。
万葉仮名がそれですが、その後漢字から一部を取り出した「片仮名」、漢字全体を変形した「平仮名」という文字を作り出します。
さらに、近代になりヨーロッパの国と交流するようになると、アルファベットも使うようになります。
このように、同じ言葉を幾通りにも表記できるというのも現代日本語の特性となっています。
そして、日本人は漢字を「自分たちの文字」と意識しています。
中国から伝わった文字ということは認めていても、自分たちの文字として使い、様々に活用しています。
韓国とはこの意識がまったく違っていて、韓国人はあくまでも漢字を自分たちの文字とは考えず、「訓読み」のような使い方も発達させませんでした。
そのため、ハングルの使用が広がると漢字使用を止めてしまうということにもなりました。
漢字やカナ、アルファベットまで使って、日本人は意味というものを微妙に変化させて高度に使い分けるということをしています。
辞書的な意味で使うデノテーションという使い方ではなく、その周辺的な意味のコノテーションという使い方ということです。
「幸福」「幸せ」「ハッピー」という言葉は辞書的にはほぼ同様の意味を持つのですが、実際に使われる現場では同じではありません。
その違いを日本人は注意深く嗅ぎ取るように使っています。
漢字というものに対するイメージも日本人が持つものは独特です。
日本人は、漢字をよく知る人は知識人だと考えます。
しかし中国人はそのような感覚は持っていないそうです。
面白いもので、すでに平安時代にそのような感覚があったということは、枕草子や紫式部日記の記述に表れているということです。
さらに、「漢字が好き」という人もたくさんいます。これも中国人には文字を好きとか嫌いとかいうように捉える感覚がないようです。
最近の子供の名付けなどでは、「キラキラネーム」といったおかしなものも出てきました。
漢字の使い方は常に変化し続けるとは言っても、あまり変な変化は困ったものです。
著者は「自由」と「放埒」とは違うと書いています。
心して使いたいものです。