爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「『協力』の生命全史」二コラ・ライハニ著

人類という生物は「協力」をするものであり、その度合いは近い種である類人猿と比べてもはるかに多いものです。

それが他の種をはるかに超えた人類の繁栄につながったとも言えます。

ただし、他の生物種を見てみるとさらに協力するものも見られます。

そういった、生物における「協力」について、多くの生物とそして人類においての歴史など多方面からたどっていきます。

 

協力するもなにも、「自己」と「他者」とがどういう関わり合いをしているかということを見ていかなければ何も分からないということで、最初はその点から始まります。

単細胞生物の場合は自己も他者もありません。

皆同じ遺伝子のものがあるだけです。

しかし多細胞生物となり、さらに有性生殖が始まると遺伝子の構成にも無限の多様性ができ、自己と他者とは全く違うものという観念ができます。

ただし、その自己の中にも裏切者が存在し、また新たに現れるということで、ミトコンドリアの取り込みについてや、がん細胞の発生まで話が進みます。

 

人間にとって、「自己」のようでそうではないものが「家族」です。

家族の形というものも人間の「協力」というものの本質と深く関わっているようです。

子育てを共同で行うというのが人間の特異なところであり、類人猿でも母親だけが子育てを行う種が多いのに対して、父母だけでなく祖父母やその他の親族まで関わって子育てをすることが普通です。

それほどでなければできなかったのが、脳の発達が極端に多くなった人間の宿命なのかもしれません。

人間の女性が閉経をするというのも、孫の世話のためという仮説もあります。

 

ただし、社会的な協力というものはさまざまなジレンマを抱えているようで、社会的な集団によってその在り方もかなり違います。

人間は狩猟採取社会の頃にはかなり平等であり、協力をすることが正義であること、そして協力せずに独善に走る者を排除するような社会習慣が普通でした。

しかしその後わずかな時代に独裁者が圧倒的な権力を握る社会に移行します。

数の上では圧倒的な被支配者たちがなぜ反乱を起こさなかったのか、不思議なほどなのですが、それも人類の宿命的な性格のようです。

 

協力する生物というものを考えるうえで目を引くのが社会性が高いと言われる昆虫、アリやハチ、シロアリといったものですが、これらの昆虫のコロニーと言われるものはその全体が多細胞生物の体と同じような特徴を示します。

これはそれらの昆虫の生殖形態によるもので、生殖可能な個体は女王と幾分かのオスでありそれ以外は生殖不可能な娘ばかりです。

これは多細胞生物での生殖細胞とそれ以外の体細胞との関係に類似しておりだからこその社会性となっています。

 

社会に対する協力の形態として、慈善事業などの善行を行うというものがあります。

それをする人は名声を得られ社会的な評価が上がるはずなのですが、現代社会ではそれをあからさまに行うことに対しては逆の評価が下されることもあります。

オスカーワイルドが言った言葉で「世界で最も気持ちの良い感覚は、匿名でよいことをして誰かのそれを見つけてもらうことである」というのがあるそうです。

隠れて善行をしたいとはいっても、やはり誰にも知られないのではつまらない。

それが本心なのでしょう。

ただし、こういった意識というものもやはり人間に特有のものであり、ごく近い類縁種のチンパンジーであっても自分の評判を戦略的に管理するなどということは全くなく、他者の好意的な行動の裏にある動機を推測するということはありません。

これらの意識が高度に発達したのが人間心理なのでしょう。

 

「協力し合う」のが人間の特質なのでしょうが、どうやらそれがかなり衰退しているようにも見えます。

その未来は暗いのかも。