著者の大西さんは方言学を専門とする研究者で、とくに実際の方言が使われている現場を調査するフィールドワークを長くやってきたということです。
現役の方言研究者の中では方言分布図をもっとも数多く書いたうちだと豪語していますので、かなりの研究成果をお持ちのことでしょう。
それらの中から、特徴的なものをいくつか取り上げています。
「言わない」を「言わん」というように、動詞の否定形を「ナイ」とするのは東日本、「ン」は「ヘン」と言うのは西日本であるといわれています。
方言は京都と中心として同心円状に広がってきたという、方言周圏論という考え方を、柳田国男は「蝸牛考」という著書の中で提唱し、方言学の中では一定の支持を受けています。
しかし、「東西対決」というのはそのような方言周圏論とは両立しないもののようです。
さらに、否定形の分布図を詳細に見ていくと、山梨県で西日本タイプの「ン」形が分布していることが分かります。
静岡西部や長野南西部にも分布しているものの、山梨と直接隣接する静岡県東部や長野県中部は東日本型の「ナイ」です。
これが出来上がった要因には、富士川を通って甲斐の国に塩などの生活必需品を運んだ舟運の影響があったのではないかと言うのが著者の見立てです。
ただし、同じように海運が通じていた日本海側では、西日本側の言葉がそのまま広まっていったようではないと見られます。
これは日本海側を北上した北前船と、富士川などの舟運とは性格が異なるためではないかと言うことです。
最初に言及された柳田国男の蝸牛考については、最終章でも詳しく考証されています。
ここで、柳田はカタツムリの方言が九州と東北で似ているということから、方言周圏論を打ち出すのですが、本書著者の大西さんは、これまで方言研究を重ねてきたが「そのような同心円など見たことがない」と言います。
柳田は蝸牛考のなかで「細長い列島の両端にナメクジ、その内側にツブリ、その内側にカタツムリ、その内側にマイマイ、そして中心にデデムシがある」とのべ、同心円状に広がったとしています。
しかし、大西さんが詳細に作った全国のカタツムリ方言分布図では、たしかにナメクジが列島の両端に見られるものの、他についてはバラバラという印象です。
これを「同心円状に広がる」とはとても言えないということです。
そもそも、「同心円状に広がる」ためには、中心部すなわち京都のみで言葉の変化が起こり、それが徐々に外側に広がっていくということを示しているのでしょうが、実際には言葉の変化は全国各地でどんどんと起きてそれが隣り合った地域に広がったり、広がらなかったりといった動きをしています。
やはり周圏論というものは実際にはあまりにも単純化しすぎたものであるようです。
著者のもっとも業績を重ねてきた地域が長野県であるということで、父母の出身地がそこである私には懐かしい内容も含まれていました。
東西の言葉の境界に位置し、興味深い地域であるようです。