言語ゲームというから、言葉を使ったゲームの本かと思って読み出しましたが、甘かった。
言語ゲームという言葉自体、オーストリア出身の大哲学者、ヴィトゲンシュタインの使用したもので、言語というものが人間の精神の中心をも占めるものとの認識でそれを使って精神と社会を解き明かしていこうというものです。
したがって、本書の内容も非常に濃密なものとなっています。
まあ、最初の「隕石衝突問題」というものを例示しておきましょう。
巨大な隕石がまもなく地球に衝突します。人類は滅亡します。その前に宇宙のかなたの知的存在に人類がいたことを連絡したい。どうすればよいですか。
そこで人類文明のなかみを知ることができるようなものを載せた宇宙船を発射するということになるのですが、ただし何を載せてもそれで人間が何を考えていたのかを伝えることができるのか。
そもそも、宇宙人は言語というものを使っているのか。
宇宙人が人類の言語を理解するとはどういうことか。
宇宙人の言語というものも人間からは想像もできない。
その想像もできない言語同士で翻訳するということがあり得るのか。
といった話をいろいろな方向から見ていくというものです。
ヴィトゲンシュタインが思いついたのが「言語ゲーム」というものです。
それは一言で言えば「人びとの一致したふるまい」のこと。
言葉をしゃべる、服を着る、挨拶をする、家族で暮らす。
そのような社会を営むそのやり方が「言語ゲーム」だということです。
これについて書かれていたのが彼の主著である「哲学探究」です。
これは読んでもほとんど理解できない。難解な書物ということになっています。
本書はヴィトゲンシュタインの解説書ではないとしています。
「ヴィトゲンシュタインが何を考えたか」を説明するのではなく「ヴィトゲンシュタインのようにあれこれ考えて見る」ことをしてみようということです。
様々な論証を「定理」として例示していますが、多くはどこが定理なのか分からないようなものです。
定理15.3 社会科学は、近代社会の言語ゲームのうみだす価値や制度を、無条件に存在する実体だと考えてしまいがちである。
と言われれば、なんとなく分かったような気にもなりますが、真意には遠いのでしょう。
かなり手強い本でした。