爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

日本語の変化は何を反映しどこに向かうのか

いつも参考にさせて頂いている、よんばばさんのブログで言葉の変化についての話題があり、それに触発されて日本語の変化ということについて考えてみます。

hikikomoriobaba.hatenadiary.com

 ただし、あくまでも言語学には素人ですので、素人の素朴な感想ということで内容の不備はご容赦ください。

 

 

日本語がどのように形成されてきたということは諸説あるようですが、まだ確定した学説はないようです。

文法的には朝鮮の言語と似ていますが、基本的な語彙からかなりの違いがあり、同祖の言語だとしてもかなり古い時代に分かれたものと考えられます。

ただし、よく知られているように朝鮮半島から多くの人々が入ってくる以前に日本列島に定住していたいわゆる縄文人の人々も言葉は使っていたはずですが、それがどのようなものかは全く分かりません。

私はそれが現在の方言にも何らかの影響を与えていると考えていますが、確証はありません。

 語彙の点ではかなり統一されたという印象ですが、アクセントがまったく違うというのは何らかの影響を受けているのではないかと思っています。

 

その後、いったん形成された大和言葉ですが、それから大量に中国語が流入し、表記法が確立し、同時に話し言葉も大きく変化したものと考えられます。

この変化も非常に大きかったものでしょう。

そしてその動きが非常に強かった奈良時代から平安時代にかけて、そのような文語を操る上層階級と、庶民の言葉は大きく異なっていたと考えられます。

文書として残っているのは上層階級の言語ですので、民衆の言葉は断片的にしかわかりません。

 もしかして前代の縄文の言葉の名残も大きかったのでしょうか。

 

ただし、このような「階級別の言語の相違」というものは、いつの時代にもあったはずで、現代でも同様です。

女子高生の話す言葉と大学教授のものとはまったく違うのも明らかですが、一方を「無学で粗野な日本語」(どっちが?)とだけ決めつけて済ませる話ではありません。

そして、どうやらいつの時代でもその時々の「女子高生ことば」が徐々に社会全体に広まっていくようにも感じます。

 

これは社会の構造が一度は固まっても徐々に崩れていき、「新勢力」がまた新たな構造を作るからなのかもしれません。

新勢力が社会の中心となれば、その人々の使っている言葉が新たな権威となることもあるのでしょう。

 

ただし、下々の言葉が常にこういった下克上を成し遂げるわけではないでしょう。

下々の言葉にも多くの種類があり、社会的権威となれるものもあれば、下のまま消えるものもあるのでしょう。

女子高生言葉は継承もされず、社会的地位を確立することもできず、いつかは消えるものなのかもしれません。

 

世界全体が簡単な英語で制覇されるという予測もありますが、これは人類のごく短い歴史から見れば興味深い現象と言えるでしょう。

新生人類(ホモ・サピエンス)が誕生して20万年ほどと言われています。

最初の集団はごく少ない人数であったという学説もあります。

もちろん、その当時は言語というようなものがあったのかどうかも不明ですが、何らかの意思疎通手段は必要だったでしょうから、原始的な言葉は使っていたでしょう。

それは「全人類共通」であったはずです。

それがアフリカ内でも集団が別れて発達し、徐々に言語も分裂していきます。

さらに、7万年ほど前と言われているアフリカ出発ではせいぜい数百人から数千人の集団だったということですが、これも共通の言葉をつかっていたはずです。

それがその後のわずかな期間でまったく系統の異なる言語を集団ごとに作り上げてしまった。

まさに「バベルの塔」の神話の内容そのものです。

共通の言葉を話していたのに、神に背いてしまったために皆別々の言葉を話すようにされてしまった。

しかし、それがまあかなり欠点だらけの簡易英語であっても、一応全人類共通の言葉に収斂しようとしている。

数万年の分裂を修復しようとしているかのようです。言語的な範囲に限ってのことですが。

 

勝手気ままな言葉についての感想、失礼いたしました。