著者は東京大学文学部准教授で、文学研究や文芸評論をしていますが、読んで面白いと思った小説について、人に「どこがおもしろいの」と聞かれて簡単に説明できず困ることがあったそうです。
その解決策として編み出したのが「らくがき式」
小説を読んでいる時に、面白いところ、気になるところなどにどんどんと書き込みをしていき、それを見れば書評を書いたり人に説明したりするときもやりやすいだろうということです。
そこでこの本はその「らくがき式」で名作と言われる小説を切っていこうというものです。
15の名作が選ばれていますが、その最初の1ページをその「らくがき」と共に掲載しています。
名作とは言われていますが、それをよく見るとどこが名作なのか分からなかったり、小説としては異例の構成になっていたりということがあります。
そういったことまで解説しています。
なお、15の「名作」では夏目漱石「三四郎」「明暗」、志賀直哉「城崎にて」、太宰治「人間失格」、川端康成「雪国」等々が選ばれていますが、私はその中の1冊も読んでいないという有様で、新鮮に感じられました。?
細雪は谷崎の代表作とも言われているものだそうです。
となれば「近代日本文学屈指の傑作」といった売り文句になりそうですが、それを評する時に「やっぱり細雪はすばらしい」と語る人が多いようです。
ここに阿部さんは着目します。
こうした賞賛に「やっぱり」という一言が入るのはなぜでしょう。
このような出版当初から評判が高く、評論家や批評家、学者からも賛美されて「名作」という地位を獲得してしまった作品は、どうしても「いつの間にか目にかけてもらえなくなる運命」にあるのではないか。
あまりにも見事に完成されたこの作品は、「評価されて当然だから放っておこうか」と考えられてしまうのではないか。
まさに「不幸な優等生」だということです。
川端康成「雪国」
ノーベル賞まで取ってしまった、文句なしの「名作」なんでしょうが、どうも冒頭部を読むと違和感を感じるそうです。
こざっぱりとした洒落た言い回しで、いかにも「文学的」な落ち着きがあるが、何となく愛想が無くてつっけんどん、一つ一つの文がぴったりとフィットしない感覚があります。
主人公は島村のはずなのですが、作品の中ではほとんど島村という人物が描かれません。
それは小説家という存在とも通じるもので、彼らは周囲の誰とも知り合いにならない、巻き込まれない。
とはいえ、それをここまで徹底的に描いた作品というのは他にはあまり無いそうです。
葛西善蔵「蠢く者」
私小説作家として有名な葛西ですが、他の私小説作家と同様、彼も破滅的な人生を歩みました。
この作品はそういった私小説が何をやろうとしていたのかが良く見えるものだそうです。
その文中で「のだ」が出てくるところは切り札なのだそうです。
なお、志賀直哉の「城崎にて」も自分の体験とうたっていますし、太宰治もそうでした。
こういった傾向は必ずあるもののようですが、その中でも葛西はとりわけ私小説臭が強いそうです。
こういった「書評の書き方」という本は面白いのですが、だからといって小説自体を読んでみようという気持ちになかなかなれない状態です。