爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「物語 アラビアの歴史」蔀勇造著

現在はサウジアラビアや湾岸諸国、イエメンなどの国々があるアラビア半島ですが、人類文明発祥の地ともいえるメソポタミアとエジプトに挟まれた地でありながらその大部分が砂漠であるために文明の中心地とはなりませんでした。

しかしその後イスラム教を興したムハンマドを輩出したことでその中核ともいえる存在となっています。

ただし、イスラム教はそれ以前の歴史というものを重視しませんので、アラビアの歴史全体をその視点から見ることはできません。

 

そのような観点からアラビアの歴史を見直してみたものですが、イスラム以前のこの地域の歴史を概観したものがほとんど無かったということもあり、この本でも半分近くはイスラム以前を詳述したものとなりました。

 

古代のアラビアといえば、ユダヤから見たものとして「シバの女王」という人物があります。

アラビア半島南部にサヴァという地域があり、そこには半島をつなぐ隊商の交易の経由地として都市が成立し国家ができました。

それは紀元前12世紀ころと考えられています。

その時期にヒトコブラクダに付ける鞍が考案され、ラクダを運搬手段とする隊商が可能となったという理由があります。

そしてその時期は北方の文明国家の間にも大きな変動があった時でした。

「海の民」と呼ばれるおそらく混成の移民集団が西北から東地中海沿岸に侵入し、エジプトは辛うじてこれをパレスチナで防いだものの、ヒッタイトは滅亡、シリアの多くの都市も破壊され、エーゲ海のミケーネ文明も滅びました。

その変動の影響でアラビア方面にも小国家が設立されたのかもしれません。

 

その時期にあったと言われるのが旧約聖書にも描かれる「シバの女王」ですが、サヴァ王国が南アラビアの最古の王国であることは疑いないものの、それが聖書の記述のような繫栄した王国であったことはおそらくなかったでしょう。

そしてその後、南アラビアの各地に興った小国が興亡を繰り返すこととなります。

 

現在でも馬の主要な種としてアラブ種というものがありますが、もともとアラビアには馬はいませんでした。

紀元前後にはまだ馬をアラビア諸王国への献上品として持参されていたことからも分かります。

しかし西暦100年前後の戦いの記録には騎馬隊と訳せるものが存在するようになります。

 

3世紀の北アラビアでは隊商都市が相次いで興亡を重ねていました。

その中でパルミュラという王国が栄えました。

古代オリエント史上、クレオパトラと並び称される女王ゼノビアが出たのはパルミュラ最後の頃でした。

父のザッパイはアラブ系部族の族長で、母はギリシア人だったと言われています。

外国語にも通じ、ローマの歴史家ギボンはその美貌はクレオパトラにも劣らなかったと記しています。

一時的には東西交易路のすべてを押さえるまでになったのですが、それを問題視したローマが総力を挙げて討伐し滅ぼされました。

 

イスラムの呼び方では「ジャーヒーリーヤ」と言われるのが5世紀半ばからの時代です。

これはアラビア語で「無知」とか「無明」という意味で、イスラム化以前を表していますが、イスラムとは無縁の世界から見れば全く独善的な見方でしかありません。

またイスラム化以降のアラブ世界の歴史も記述されたのが9世紀以降で、かなりアラブ世界が整理されてからの後知恵とも言うべき状態からの記述でしかありません。

そのような色眼鏡を排してみてみると、ムハンマドによるイスラムの立ち上げから制覇というものも別の見方ができるようです。

 

後世の感覚から見るとメッカという土地が世界の交易の中心でありその中で交易商人の中から出てきたのがムハンマドといった像ですが、実際には世界貿易の商品がメッカを経由することなどありえず、せいぜい地元の毛皮などを売りに出た程度の規模の交易だったようです。

また当時の人々の宗教は多神教の異教だったように感じますが、実際にはユダヤ教キリスト教を信じる人が多かったようです。

ムハンマドの主張の多くもユダヤ教的な感覚が多く、直接ユダヤ教の教えに触れたわけではなくとも、それを信じる人々の影響が見られるようです。

また初期にイスラム信者が迫害を受けてエチオピアに逃れることがあるのですが、これも前代からのエチオピアとの深い関係があったからこそだそうです。

紀元3世紀頃にはエチオピア北部からエリトリアにかけての地域にアクスム王国という国が栄え、これがアラビア半島南部も支配していた時代があったようです。

 

アラビアの歴史、なかなか興味深いものですが、現在のイエメンの混乱などもそのつながりという意味があるのかもしれません。