ユダヤ人、ユダヤ教というとかなり難しい問題のように感じます。
ユダヤ人とはどういう人々か、ユダヤ教とはどういった宗教なのか。
それには多くの違った見解がありそうですし、論争にもなっています。
どうやらユダヤ人当人たちの間でも様々な意見があることかもしれません。
この本ではユダヤ思想を専門に研究してこられた市川さんが、それらを多くの方向から描いて見せますが、どうもよく分かったとは言えない読後感です。
表紙の裏に書かれている文章がある程度そういった状況を伝えています。
「ユダヤ教は”宗教”ではない。人々の精神と生活、そして人生を根本から支える、神の教えに従った生き方だ。啓典の民、離散の民、交易の民、書物の民、さまざまな呼び名を持つユダヤの人々。苦難の歩みのなかで深遠な精神文化を育む一方、世を渡る現実的な悟性を磨いてきた歴史をたどりながら、その信仰、学問、社会を知る」
こういったユダヤ人、ユダヤ教の像を章ごとに「第1章 歴史から見る」「第2章 信仰から見る」「第3章 学問から見る」「第4章 社会から見る」と題し、見る視点を変えながら説明していきます。
まあ細かい点まではよく分かりませんでしたが、とにかくユダヤ教というのはただ単に教えを守るという宗教ではなく、勉強し考えるものなのだという印象を持ちました。
それがユダヤ人の多くが優れた才能を発揮させることにつながっているのでしょうか。
なお、ナチスドイツが行ったユダヤ人虐殺を「ホロコースト」と呼ぶことが多いのですが、これは元来はユダヤ教の中でももっとも神聖な「全燔祭」という儀式のことをヘブライ語ではオーラ―というものを、ギリシア語に翻訳した時にホロコーストとなったそうです。
そのようなユダヤ教の聖書の供儀の言葉を虐殺に使うことに対しては違和感を覚える人もいるということで、著者は「ショア―」(ヘブライ語で破壊を意味する)と呼んでいます。
ユダヤ人は歴史と共に多くの地域に広がっていきましたが、西欧のユダヤ人が西欧の都市化、民主化に巻き込まれ変化していったのに対し、東欧、とくにリトアニアやポーランドのユダヤ人は伝統的なユダヤ教を深化させていきました。
著者は特に19世紀リトアニアにおいてタルムード学の再生を行なった動きが今日のユダヤ教の基礎を築いたと見なしています。
東欧やロシアのユダヤ人は大々的なユダヤ人迫害で逃れたばかりだというイメージを持っていましたが、それ以前に大きな仕事をしていたようです。
いやはや、なかなか難しいもののようです。