爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「たちどまって考える」ヤマザキマリ著

ヤマザキマリさんはテルマエ・ロマエの作者として有名ですが、若いころからイタリアに渡りその後もイタリアから世界各地で暮らしてきた方です。

今でもイタリアにご夫君と家族が住んでいるのですが、ヤマザキさんはイタリアと日本を行ったり来たりの生活をしていました。

ところが新型コロナウイルスの流行が始まった頃にはヤマザキさんは日本に来ていたのですが、イタリアで入国が制限されるようになり、仕方なく日本に長くとどまることになりました。

 

日本でも仕事は変わらずできたのですが、イタリアのご家族とはネットで話すことしかできないという日々が続いたそうです。

 

そこで感じたのが、こういったパンデミックの中でのイタリア人と日本人の心理や態度、対処の大きな違いでした。

日本の状況をご家族に話して驚かれたことが多かったそうです。

日本では店の営業なども行政が禁止するということはなく、「営業している店の名前を公表する」といった対応をしていました。

それを話すと「そんなことをしたら店に客が押し寄せるのでは」と反応したそうです。

日本では行政が直接営業禁止といった処置を取らず、周囲の人々に圧力をかけさせるような行動を取るのですが、それはイタリア人には理解しがたいことだったようです。

 

そういったイタリアなどの諸国と日本の違いについて、表面的なことから深い面までいろいろと書き綴られています。

ただし、本書出版が2020年9月とまだ日本ではそれほど感染者が検出されず、「日本モデル」が感染症を押さえるのに有効ではないかと言われていたころでした。

その後は日本でも大幅に感染者が発生しましたが、それでも死者数は少なかったので、本書の主張も大筋では成り立っていると言えます。

 

イタリアは非常に早い時期から感染者も死者も急増しました。

それは最近の経済構造が中国との関係を強めていたからでした。

それでもPCR検査を大規模に始めるといった対応は素早く実施されました。

日本では検査を実施するのがかなり遅れましたが、その点もイタリア人から見ると不思議なことだったようです。

 

イタリアをはじめとして南欧や南米などでは人と人の距離が普段から非常に近いのが国民性となっています。

ソーシャルディスタンスも日本では2m以上などと言われていましたが、イタリアでは1m以上でした。

それでもそんな距離を取るということは耐えられない人がたくさんいました。

日本人はそもそも人とそれほどべたべたと触れ合うことはありません。

しかしイタリア人は親しい人とは体の接触をしながら大声で話すというのが当然であり、それができないというのはストレスを高めることでした。

そのような習慣から、どうしても感染症は流行りやすいのでしょう。

 

さらに、言語の性質というのも大きく関わっているようです。

日本語では「はひふへほ」の発音がありますが、これはフランス語やイタリア語にはありません。

その代わりに「ばびぶべぼ」や「ぱぴぷぺぽ」が多用されます。

「はひふへほ」の発音ではほとんど唾の飛沫は飛びません。

しかし「ぱぴぷぺぽ」などの破裂音では飛沫が飛びまくります。

しかもその言葉を大声で発しなければ我慢できない人たちですから、ここでも感染拡大の要因が大きいのでしょう。

 

自粛期間中には多くの問題が発生し、それに対してヤマザキさんもSNSなどで発言することが多かったのですが、それに対し「わかってもいないことを発言するな」とか「漫画家のくせに政治に口を出すな」といった反応が見られたそうです。

これは完全に民主主義というものの否定です。

国民が専門家かどうかに関わらず、どんな職業の人でも発言をするというのが民主主義の基本であり、その討論の積み重ねが必要です。

結局、日本人には民主主義というものが分かっていない人が多いのだと感じています。

 

他にも日本人というものについて、かなり深い内容の思いが書かれていました。

パンデミックというものが在ったからこそはっきりと見ることができたものなのでしょう。