「レジリエンス」とは「危機や逆境に対応して生き延びる力」のことを指します。
人類に限らず生物というものは常に危機や逆境にさらされ、その中で生き延びてきました。
生き延びることができた生物のみが子孫を残すことができたとも言えます。
そこで、レジリエンスというものに特に着目し、その観点から人類史を見ていこうというものが本書です。
「章」のことを本書ではPhaseとあらわしていますが、その1から3までは世界各地の様々な人々の歴史を示しています。
ただし、レジリエンスと改めて言わなくても人類史というものは危機と生き残りの繰り返しですから、それを示しただけのようにも見えます。
特に各地の歴史の専門家たちが分担して書いていますので、人によっては通常の歴史解説のようにも見えるものもあったようです。
Phase4では「現代の危機とレジリエンス」となり、ようやくレジリエンスに関して本格的な議論に入ります。
そして5では「人新世を転換する」として将来に向けた人類の生き残りについての話が出てきているのですが、どうもこの部分は哲学的な表現が多く理解しにくい文章となってしまいました。
最初の方で国立科学博物館の馬場悠男さんが人類史外観を述べた中で、「地球規模の文明崩壊が迫っていること」「それを避けるためには人口を大幅に減少させ生活水準を低くして資源の消費を格段に抑える必要があること」は大部分の人々が理屈では分かっていても文明という欲望充足装置は麻薬と同じでそこから抜け出すことは極めて難しい。という指摘はまさに的確というべきでしょう。
そこから抜け出すためにもレジリエンスという概念を再考すべきであるとしています。
京都大学野生動物研究センターの村山美穂さんの「研究ノート」というコーナーの話では、野生動物の糞に含まれるDNAを分析する実験手法が紹介されていました。
これで相当な情報が得られるようになったそうです。
南山大学の後藤明さんが太平洋島嶼部のレジリエンスという中で書かれていたことです。
ラパヌイ(イースター島)ではエコサイド(環境破壊による自己破滅)が起きたという説が有力です。
かつては島中に生い茂っていたヤシの木をすべて刈り取ってしまいそのため戦争や人肉食まで行われたという話は多くの人が信じています。
ジャレッド・ダイアモンドの「文明崩壊」にも記されています。
しかしその前提となる事実にどうやらかなり疑問があるようです。
証拠とされた多くのものが実は別の解釈が可能なものであり、必ずしも文明崩壊が起きたとは言えなかったようです。そして最終的に崩壊に導いたのはここでも西欧人の侵入によるものであったようです。
南北アメリカに住んでいた人々は12000年前までに南アメリカまで到達したアジアから来た人々なのですが、彼らはその土地で特有の動植物を飼育栽培する文化を生み出しました。
家畜の飼育も始めたのですが、ヨーロッパでのその展開と全く異なったのが「乳の利用」をしなかったことでした。
そして、ヨーロッパではそれが人畜共通感染症の拡大につながり、それで死亡する人も多かった一方で免疫を獲得していきました。
しかし動物の乳の利用をしなかった南アメリカではその免疫獲得ができず、それがヨーロッパ人の侵入により様々な感染症の一気の拡大につながり、武力制圧の前に多くの人々が死亡してしまったということが起きたようです。
現代の危機とレジリエンスのコーナーで名古屋大学の鈴木康弘さんが書いていることは深い意味を持っています。
「想定外」という言葉が飛び交ったのが東日本大震災とその後の福島原発事故の時ですが、「想定」と「予測」を混同し、あるいは故意に使い分けた人間が多かったようです。
科学者はその科学的手法により「予測」しますが、「想定」するのは科学者ではなく行政機関や開発事業者です。
実際に東日本大震災の前にすでに大津波を「予測」していた科学者は数多くいました。
しかしその予測を無視し「想定」しなかった行政や東電のために原発事故が起きました。
科学は不確実性を持ちますから「絶対」とは言うことができません。
しかしその科学の言葉をくみ取って決定する責任が行政や事業者にはあるのですが、そこを「想定外」とごまかして科学の不確実性に責任を押し付けた様子が見られたということです。
非常に重たい事実が次々と出てきましたが、そのため少々分かりにくくなっているかもしれません。
ポイントだけ絞って解説する必要がありそうです。