爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「多民族国家 中国」王柯著

中国には多くの少数民族があり、独立運動をしているというのが外から見た印象でしょうか。

歴史的には漢民族というものが成立して以降も次々と外から征服者がやってきて次第に同化していくという道を繰り返していたためか、民族という考え方も独特のものがありそうです。

 

中華文明と言いますが、古代の夏・殷・周の王朝は皆異民族であったと見られます。

それが中原に侵入してきては王となりました。

しかし徐々に漢民族という意識が高まり、元や清といった異民族王朝のもとでもそれを維持してきました。

 

孫文による中華民国建国時には、清朝に対する意識の裏返しで「漢民族の国」という思いが強かったようです。

しかしそれではマズいと思ったのか、「五族協和」と唱えるようにはなりましたが、戦争遂行のための協力取り付けに過ぎず具体的な民族政策は無かったと言えます。

共産党はそれと対抗して少数民族の地位保障を行いより強く協力を求めていきます。

中国統一を成し遂げた後も、少数民族重視という姿勢を保ちました。

しかしチベット奴隷制社会に見るようにその社会体制はどの民族でも古来のままで、その伝統社会を当面は守るとしたものの、そのままでは済むはずもありませんでした。

 

なお、少数民族優遇の政策が取られたため、同じ地域に入っていた漢民族少数民族であると届け出るという風潮が多く、この時期に急激に少数民族の人口が増えています。

 

民族政策を考える上ではチベットウイグルは外せないでしょう。

実は独立運動が強いというのもこの地域で、長く紛争が続いています。

チベットの独自性も清朝時代から重要なものだったのですが、中共となってから関与を強めるようになり、ダライ・ラマ追放となりました。

しかし中国に協力的な宗教者も多いようで様々です。

ただしアメリカや日本がこの問題を有利に使おうという戦略もあり火種となります。

 

西北部のイスラム教地帯では、かつてはソ連の影響力も激しく侵入してきました。

この地域の少数民族に対して、すでに中国の少数民族者として国籍を持つ者にソ連国籍を与えるという方策が採られたことがあります。

中華人民共和国成立時の新疆省(のちの新疆ウイグル自治区)では省レベルの責任者の中に15人のソ連国籍を持つ者がいたそうですし、その中のイリ地域では係長以上の幹部の60%がソ連国籍を持っていました。

中国はソ連国籍者のソ連帰国を促しましたが、多くの事件が起きました。

 

現代の中国での民族問題と言えば、民族独立と民族間格差です。

民族独立を目指す運動は実は限られており、ほとんどの少数民族は独立は考えていません。

かえって中国同化に傾く人々が多いようでs。

民族言語の使用を奨励していても、漢語ばかりを使うということになります。

しかし、多くの少数民族では非常に経済レベルが低く、生活も困窮しています。

少数民族居住地域は中央の漢民族の国内観光の目的地として非常に人気が高いのですが、その理由も自然が豊かで汚染が無いといったもので、経済レベルの低いことが観光資源となっているだけです。

それを民族の存在自体を守りながら解消することができるかどうか、中国政府の政策が問われるところです。

 

多民族国家であることが中国の特色のようですが、その陰には多くの問題がありそうです。