爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

岐阜県七宗町神渕というところ。

岐阜県でも南部は開けた平野が広がっていますが北部の飛騨地方は山深いところです。

飛騨川沿いに高山本線に乗って北上すると、山あいに入ってすぐの辺りに七宗町と言う町があります。

この町名は正式に「ひちそうちょう」と読むのですが、「七」の字を「ひち」と読むのが珍しいということです。

 

七宗町も飛騨川沿いが町の中心地のようですが、そこからさらに山間に入ったところに神渕(かぶち)というところがあります。

昔は神渕村というところだったようですが、合併で七宗町に属しました。

 

実はこれまで一度も行ったことのない場所なのですが、父方の祖母の出身地だったということだけは聞いています。

その件については一度ここでも書いたことがあります。

sohujojo.hatenablog.com

それについてもう少し詳しく書いてみたいと思います。

 

確か私が高校生の頃ですからもう50年以上も前、父は50代だったでしょうか。

いきなり「岐阜へ行ってくる」と言って1泊で出かけました。

どうやら親戚のところへ行ったらしいということでしたが、父はあまり詳しく説明するということは無かったのでよく分かりませんでした。

親戚というものはほとんどが長野県南部ばかりでしたので、岐阜というのは初めて聞く話でした。

しかしその時はそれ以上はこちらも聞きもせずに終わってしまいました。

それから20年ほどたって、父の喜寿の祝いをするということになったのですが、この機会に家族や親戚のことをきちんと文章にしてもらおうと頼んだら数ページ書いてくれました。

その中に書かれていたのが、父の母は岐阜県七宗町の出身ということでした。

父の父、私の祖父は長野県の出身ですが、農業指導の学校を出て岐阜に赴任したとのこと。

そこが七宗だったのでしょうか。

縁があってそこの女性と結婚したのでしょう。

父もその件についてはよく知らなかったのか詳しくは書かれていませんでした。

七宗町の中でも当時の神渕村で、祖母の旧姓は林ということ程度しか分かっていません。

祖父母共に戦時中に亡くなっており、写真も残っていないためただ想像するばかりです。

 

今はネットでかなりの情報を調べることもでき、ストリートビューではその町の街並みまで見ることができますが、飛騨川沿いの町の中心部から山を抜けて出たところにわずかに家の立ち並ぶ集落のようです。

電話帳も見てみましたが、どうも林さんが非常に多い地区のようで小さな町で20軒以上あるようです。

父親ももう亡くなって17年、母も少しは話を聞いていたのかもしれませんがそれも7年前に亡くなりもう知っている人は全くいなくなりました。

おそらく祖母の実家の人も100年以上も前に嫁に出た人のことなど誰も知らないでしょう。

 

そんなわけで、これ以上何ともしようがないのですが、できれば一度行ってみたいとは思っています。