著者の御一人、堀田さんは大学で小説創作の講義をされているということで、昨今の小説家志望の学生たちの日本語には悩まされるということです。
とくに、男子学生はほとんどがラノベ(ライトノベル)(なにかはよく知りませんが)を目指すということですが、それにしてもその使っている日本語には驚かされるほどだということです。
最初に「頻出する誤用」として挙げられているのが、
1,「嗚咽」を嘔吐の前兆として使う。(オエッから連想?)
2,「おっとり刀」をのんびりした人という意味で使う。(おっとりしてる?)
3,「拍車をかける」を勢いをそぐという意味で使う。
などです。
堀田さんの持っている感触では、小説家志望の学生たちは「ラノベしか書かない人」「ラノベも書くけど大人向けの作品も書きたいと思っている人」「ラノベっぽい作品も書ける人」といった分類ができるそうですが、最初の「ラノベしか」という学生たちにこのような言葉の誤用が頻発しているそうです。
あまりにも言葉を知らないので、「辞書を引け」と指導したのですが、事情をよく分かっている学生が解説してくれました。
「辞書など引くはずがありません、先生。間違っている可能性を微塵も疑っていませんから」だそうです。
辞書を引くのは面倒だからやらない、だから面倒がらずに辞書を引けという指導をしたつもりが、まったく役に立っていなかったのです。
彼らは「自分の知識」を疑うということ自体無いそうです。
まず辞書というものを持っていない。
今は電子辞書というものがあり、一台の機械で何十冊もの辞書が入っているものもありますが、それすら使わずにせいぜいスマホでググって済ませるのだそうです。
やはり紙の辞書が一番なのですが、それは無理でもせめて電子辞書は使ってほしい。
まあそういった学生は極端な例で、実際にはかなり常識的な人も多いようですが、本書後半はそういった人向けの「語彙の増やし方」「敬語の使い方」といったものです。
なお、「語彙」といえばボキャブラリーと対応するように思いますが、実は完全にイコールではなくボキャブラリーは個人の持つ言葉の能力という意味を持ちますが、語彙はもともとはそれを含まず、「単語の総体、ある範囲の単語を集めて一定の順序で並べた書物」という意味だったそうです。
まあ、現在ではほとんどボキャブラリーと認識されているのでしょう。
敬語では「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」があるということは知られているでしょうが、謙譲語の中にも性質の異なるグループがあるということは分かってきており、文化庁の「敬語の指針」にもそう解説されているそうです。
謙譲語Ⅰは「自分側から相手側または第三者に向かう行為、物事などについてその向かう先の人物を立てて述べるもの」
謙譲語Ⅱは「自分側の行為・物事などを話や文章の相手に対して丁重に述べるもの」です。
なおその他にも「美化語」という分類も含め現在では敬語の5分類と言われています。
若い人のおかしな敬語で良く出される「になります」、「こちらコーヒーになります」って今は何だよと突っ込まれるものですが、これは正統な敬語である「でございます」というものが弱体化し使われなくなったためにのさばってきたようです。
著者の御勧めは「でございます」を何度も口の中で繰り返しておくということで、丁寧さが感じられ知性的に見えるそうです。
なおその好例が国民的アニメ、あのサザエさんで使われており「サザエでございます」は皆聞いたことがあるでしょう。
私も敬語の使い方には今一つ(”いまいち”というのは最近の言葉だそうです)自信がありませんので、参考になります。