爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「『日本国語大辞典』をよむ」今野真二著

日本語学がご専門の今野さんの本はこれまでも何冊か読んでいますが、今回の本は「日本国語大辞典」という現在日本で刊行されている国語辞書の中でも最大規模のものを「全部」読んでみましたというものです。

 

これには先行する事例があり、「そして、僕はOEDを読んだ」という、アモン・シェイという人物の書いた本で、OEDとはThe Oxford Englisy Dictionary、という全20巻総計2万ページ以上のものを全部読んだという本に刺激を受けたそうです。

アモン・シェイは約1年間でOEDを全部読んだそうですが、大学教授でもある今野さんにはそれは難しいということで、約3年をかけての大事業となりました。

 

なぜそのようなことをする必要があったのか。

著者はこれまでにも古い辞書から最近のものまで、「辞書を読む」ということをテーマにした研究を続けており、それについての著書も多数執筆していました。

その流れもあり、辞書の中で最大のものである「日本国語大辞典」にも挑戦してみようという思いがあったそうです。

 

とはいえ、単に「読む」だけでは済まないのは当然で、どの程度まで「読む」かによってその読み方も変わってきます。

やはり各所に気になるところを見つけながら読んでいくという作業になるわけで、そのまとめとなる本書もそういったところを書き綴るということになりました。

 

目次を見ても、その目的が分かるようです。

「まず凡例を読む」から始まり、「見出し」「語釈について」「使用例について」「出典について」「辞書欄・表記欄について」と、「辞書」に関する項目がすべて取り上げられているようです。

 

一番最初には、「小型辞書・中型辞書・大型辞書」の違いについても簡単に触れられていますが、普通に「大きめの辞書」と感じられている広辞苑などもこの分類では「中型辞書」になるようです。

大型辞書と比べれば小型辞書(ポケット版と言われる)や中型辞書では載せることのできる項目数がかなり限られるため、どれを載せてどれを省くかというのが最大の刊行の方針だそうです。

例えば、標準語形と非標準語形をどの程度バランスを取るか。

標準語形が「ヤハリ」であるとして、「ヤッパ」「ヤッパシ」「ヤッパリ」を見出し語とするか、しないか。

古語や方言、俗語をどの程度載せるか。

そういったバランスは、その出版社の考え方が反映し独自のものがあるようです。

 

辞書を引く際にまず「見出し」を見るわけですが、日本語には「活用による語形変化」というのがありますので、原型で引かないと出てこないということは辞書を使う人が無意識に理解しているはずです。

外国人が日本語の勉強のために辞書を使う場合にもそれが大きな障害となり得ますが、日本人であっても古い言葉「古語」を辞書で調べるというのは難しいことです。

著者の指導する学生でも、明治期の文献の言葉を調べても「辞書にありません」ということがあるようです。

「チヒサキ」という言葉はそのままでは辞書に載っていません。

しかし「チヒサキ」と「チイサシ」が同じ言葉であるというのは、かなり古文法に慣れないと分からないことのようです。

 

特に小型辞書では動植物名や人名などの固有名詞は見出しとしないというのがあったのですが、この日本国語大辞典ではかなりの固有名詞を見出し語として挙げています。

しかし、次のような人名が実際に見出し語として使われているのですが、読者の皆さんは御存じでしょうかとして書かれています。

1、アクサーコフ 2、アグノン 3、アシュパゴーシャ 4、アスキス 5、アスケ

 

色々と雑学知識が豊富と自負していた私ですが、これらの人名にはまったく見覚えがありませんでした。

ちなみに、

1、19世紀ロシア小説家 2、イスラエルの現代小説家 3、古代インド1世紀後半の仏教詩人 4、イギリスの20世紀初頭の政治家 5、北欧神話の主神オーディントネリコの木から作った最初の男 だそうです。

 

日本国語大辞典の中に「あごつかい (顎使)」という言葉が見出しとして掲載されており、その語義は「高慢横柄な態度で人をつかうこと」だそうです。

その使用例として「ガトフ・フセグダア(1928)岩藤雪夫」と記されています。

実は、この「ガトフ・フセグダア」というのがなんだかさっぱり分からなかったそうです。

この作品もなかなか見当たりませんでした。

そこを著者は執念で探し出し、古本サイトから注文して入手したそうです。

すると「ガトフフセグダア」とはロシア語で「常に用意せよ」という意味であることが分かったそうです。

このような、普通では知られていないような作品も出典として扱われているのがこの日本国語大辞典のすごいところだということです。

 

なお、日本国語大辞典を批判するということは著者の目的ではないと断っています。

「時には批判的にみえるような書き方をすることがあるかもしれないが、それは国語辞書の今後のための問題提起のようなものと思っていただきたい」ということですが、それでもそういった部分が目立ちました。

 

最後に、「日本国語大辞典にない見出し」というのが付録として付けられていました。

意外な言葉が載せられていないというものもあました。

 

会社人間、開幕試合、行政当局、降雨期、自動改札機、神経組織、チャラい、リクライニング、

まあそのうち載せられるのかもしれませんが。

 

『日本国語大辞典』をよむ

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