爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

暴言暴論、「効果的な少子化対策」とは何か。

子育て支援が必要であるというのにはまったく反対ではないのですが、政府の出してきた「異次元の少子化対策」というのがあまりにも「異次元のバカ」であるのにしびれを切らしています。

 

そのため、「効果的な少子化対策」というものを少し考えてみました。

ただし、題名にも書いておいたようにかなりの「暴言暴論」ですのであまり真剣に考えないでください。

 

そもそも、「子どもを作ろうとするのはなぜか」

まあ、生物学的な問題はさておいて、社会学上のものだけに限ります。

 

子孫繁栄というのが生物的本能から導かれるものなのでしょうが、それを人は様々に社会的意味をつけてきました。

 

1,老後の生活を支えてもらう。

これは極めて大きな理由でしょう。

ただし、そこには「寿命が長いこと」というのが必須の条件です。

子供が幼い頃に親は死んでしまうほど平均寿命が短い社会ではそのようなことは条件となりません。

子供が十分に成長して収入を得られ、自分は仕事もできなくなり収入を失い、さらにその状態で何年も生きるようになる場合にのみ成り立ちます。

 

2,先祖の祭祀を継いでもらう。

これは東アジアの伝統では非常に大きな理由であり続けました。

中国で典型的ですが、先祖を供養する祭祀は血筋の男子しかできないという思想があったために男子の後継ぎを設けるというのが必須でした。

これが無ければ先祖の霊は寄る辺を失い亡霊と化すということでしたので、子孫を残すというのは絶対命令となっていました。

 

3,先祖伝来の仕事、身分、領地を引き継ぐ。

実は日本においては2,よりもこちらの方が主であったと思います。

封建社会で圧倒的に強い条件であった、武士であれば領地や身分としての家、農民であれば農地、商工業であれば店や工場を引き継ぐのは子どもであるのが望ましいということであり、そのために子どもを作るということにもなりました。

ただし、2と異なるのは必ずしも実子である必要はないということで、実子が生まれなければ養子を迎えるということが普通に行われていました。

 

4,その他、可愛いからとか、子供が生きがいとか。

これは実はここでは触れない「生物学的要件」によるものと思います。

自分のDNAを残すというのが遺伝子の本能なのでしょうが、その目的のために子どもを持つということに様々な心理的報酬を付与したものと思います。

そのため、これは一応保留とします。

 

さて、それでは「1,2,3」の要件がなぜ働かなくなったのか。

2,などはもはや日本においてはほとんど信じる人は高齢者以外にはいなくなったのでしょう。

先祖の供養ということ自体、社会的な見栄で葬儀や法事を執り行なうといったもので、本心から信じて行なう人は少なくなってしまいました。

自分が先祖の供養を本心から行わない人間が自分だけは供養してもらおうと子どもを作るなどと言うことはあり得ません。

 

3,も激減しています。

不動産の相続ということは土地の高い都会地ではまだあるのかもしれませんが、地方では土地家屋などというものは不良資産化しています。

農業などは継ぐ人などほとんどなく子供は皆逃げ出してしまいました。

商工業でも家業を継ぐという価値があるものは少なく、廃業ばかりです。

唯一、代々継ぐ者が現れるのは「政治業」くらいですか。

 

のこるは「1,」ばかり。

これは中国ではまだかなり大きな意味を占めているそうです。

あそこではほとんど年金制度というものが無く、昔は共産主義の体制の中で老人の扶養ということもあったものの、それも消え、頼りは子どもだけとなれば何としても子作りが不可欠です。

日本ではどうか。

実はこれはかなり不十分な状態で、大企業の厚生年金、公務員の共済年金はまだ何とかそれだけで老後の生活ができる程度はある場合が多いのですが、自営業者などの国民年金はそれだけではまったく生活することが不可能と言うべき額しかありません。

しかしそれでも既に「親を扶養」という風潮が急速に廃れてきているために生活保護を受ける高齢者も急増しています。

 

このように、社会的な制度上の要件などで子どもを持とうという理由になるものが無くなりつつあるというのが現状であり、それも少子化の大きな要因だということです。

もちろん、「生物学的要因」で子どもを持ちたいという人がまだ多数派であるのは間違いなく、だからこそ減ったとは言え年間80万人ものこどもが生まれているのでしょう。

しかし、一昔前まではそれに加えて「社会的に強制されたから」子どもを産んていた人が多かったはずであり、その強制力が衰えてきたというのが出生数がどんどんと減少している理由だと考えられます。

 

さて、それならこのような理由で起きている少子化を止めるにはどうしたらよいか。

 

まあ、2の宗教的理由はもう無理ですね。3の世襲制度の復活もほぼ不可能でしょう。

やはり1の社会制度の変革によるしか考えられません。

 

そこで、ここからが「暴論」です。

年金というものを廃止しちゃうんですね。

その代わりに給与制度の中に「老親扶養手当」をそれも多額で設ける。

こうなればどんな人間でも無理してでも結婚して子どもを育てようということになるでしょう。

さらにこうすれば今の少子化対策案の財源に困ることもなく、どんどんとそちらに財源を振り向けることができます。

まあ、どうせできませんが、もしもやろうとしたら経過措置が無茶苦茶大変になりますので、よく考えないと社会混乱の極みとなるでしょう。

普通の政党には絶対に取り入れられない政策でしょう。