千葉大学から現在は京都大学に移られている広井さんは科学哲学、公共政策といった分野の研究者ですが、「定常社会」というものについて書かれているものがあり注目しています。
この本では「人口減少社会」というものをどういう風に考えていくかということを解説しています。
少子高齢化ということを問題視し始めてしばらく経ちますが、それに対して「子どもを育てやすい環境を作る」とか、はなはだしいのは「もっと産ませる」などと言う方向での議論もされていますが、人口減少というのは実は日本だけの問題ではないようです。
日本では急激に少子化が進んだために世界でも特異的なところのように感じられているのかもしれませんが、世界各国どこでも遅いか早いかの問題のみでそれが進行するようです。
「少子化」というとカップルが子供を産まなくなったという風にとらえられがちですが、実は日本の場合結婚したカップルの子どもの数はそれほど減っていません。
未婚で出産する例が少ないため、未婚率が上がっていることがそのまま少子化につながっています。
それは世界でも同じような動きを見せており、特にヨーロッパや北アジアではすでにかなり少子化の傾向を見せています。
南アジアやアフリカではまだ人口増加が続いていますがこれもやがて頭打ちになると考えられます。
つまり世界的に人口が増えなくなる、または減少する「人口定常化」が進むということです。
これは「グローバル定常化」と言える状態になるということです。
人類史において拡大・成長と定常化ということを人口という点から見ていくと、増加していった時期が3回あります。
20年前にアフリカで新人類が誕生しその後脱アフリカをして世界中に広がることで増えたのが第1回、1万年前に農業化が始まり都市文明が作られていた時期が第2回、そして300年前からの産業化・工業化により急激な人口増加が起きたのが第3回です。
そして、その中間の時期は実は長い人口定常の時代だったのです。
今の人口増加の停止の状況が、この第3回目の人口定常時代の始まりなのかどうか。
およそ2500年前、世界的に各地で同時多発的に「精神革命」が起きました。
ギリシャ哲学、インド仏教、中国の儒教や老荘思想、中東でのユダヤ思想など、思想宗教の分野で急激な発達が見られました。
しかしこの時期は実は1万年前からの農業革命で発展してきた農業文明が土壌侵食や森林崩壊などで行き詰まり、人口増加も止まり、定常化に移行した時期だったのです。
これは、現在の状況とも非常に似通っていることがすぐに分かります。
成長・拡大が不可能となった時、精神で何か大きな変革を起こせるのか。
ここ300年の大規模な拡大の時代は「資本主義の時代」とも言えます。
資本主義と市場経済を混同している場合もありますが、実は資本主義とは市場経済プラス限りない拡大・成長への志向だということができます。
この時期に資本主義が成立できたのは、その初期にアジア・アメリカ・アフリカといった地域を開発してそれを食い物にできたこと、そして後期には化石燃料を使うということでエネルギー利用を拡大できたことがその要因となりました。
資本主義は「私利の追求を肯定する」というのが絶対条件ですが、そのためには「パイの拡大」が必要となります。
もしもパイが拡大しない状況であれば、私利を追求することは直接「隣人の私利を奪う」ことになり、紛争が絶えません。
しかしパイがどんどんと拡大していく状況であれば、拡大した分の取り合いで済み、競争に劣った人々でもそれほど被害を受けずに済みます。
現代の資本主義が危機と言われているのは、この「パイの拡大」が止まったことと直接関係しています。
誰かが「私利を増大」させることは明らかにその他の人間の富を奪うことだということがあからさまになったということです。
このような定常化する世界の中で少しでも生き残るということについて、著者は「一極集中」は不利であるが「地方分散」も難しいとしています。
その間ではあるものの「多極集中」すなわち地方にいくつもの極を置きそこに集中させるという方策を提示しています。
さらに、地域再生の方策として、「コミュニティ」の再生を謳います。
かつては農村共同社会としてのコミュニティが機能していましたが、それが会社というものに人間を吸い取られ崩壊してしまいました。
しかし会社というものもその存在すら危うくなり、そこでの人間のコミュニティも無くなりつつあります。
ここで何らかのコミュニティを作って行かなければ日本の社会は成り立ちません。
本書では他にも社会保障、医療、福祉など様々な方向から定常社会というものを成り立たせる方策を提示しています。
形だけの「SDGs」などと言っているものとはかなり違うものを言っています。
この方向で少しでも検討を進めるということが急がれるということでしょう。
なお政治思想の分類で面白い指摘がありました。
社会民主主義、保守主義、自由主義という言葉はヨーロッパの政治思想の基本的な用語で、政党の名前にもこれらがよく使われています。
アメリカでも同じような言葉が使われるのですが、しかし注意しなければいけないのが自由主義(リベラリズム)というものがヨーロッパとアメリカで正反対の意味となっているということです。
アメリカでのリベラリズムは「個人の一定以上の平等のために積極的な政府の介入を求める」ということであるのに対し、ヨーロッパでは「市場経済を重視し政府の介入はミニマムとする」ということだそうです。
このため少し混乱が起きているようです。