浮世絵は芸術作品として楽しまれることが多いのでしょうが、そこに描かれているものを細部まで見ていくと江戸時代の庶民の暮らしというものがよく分かるものがあるようです。
そちらに注目して、実際の作品にどのように描かれているかを解説した本です。
江戸の町で作られ、ほぼ江戸の住人が対象であった浮世絵には、「描かれていないけれど誰もが知っている」ことがあります。
歌川広重の「名所江戸百景、山下町日比谷外さくら田」という絵には赤門が遠目に描かれているのですが、細かく描写しなくても正月の門松としめ飾りを見ればそれが佐賀鍋島藩の上屋敷であるということは江戸っ子なら誰でも知っていることでした。
1638年島原の乱で鍋島家は軍令違反に問われ蟄居となり、新年をひっそりと迎えることになりました。
しかし、年の瀬の12月28日になり急に処分が解けました。
とは言っても正月の準備も間に合わず、急遽切り出した青竹を門の前に立て、米俵をグルグルと巻いてしめ飾り代わりに飾ったのですが、その後もそれが慣例となったそうです。
同様に、広重の「名所江戸百景、両国回向院元柳橋」では構図の端に高い櫓が組まれその先に出幣と言われる棒が伸び、かすかに櫓太鼓が見えているのですが、それだけでこれが両国回向院で年2回開かれる勧進相撲の場であることはすぐに分かるものでした。
土俵も力士も描かれずともそれがイメージできる場面だったわけです。
浮世絵の中には役者絵や美人画というものも数多くあります。
喜多川歌麿の「当時三美人」には豊雛、高島屋おひさ、難波屋おきたという、その頃の有名な3人の美人が並んで描かれています。
豊雛は正当派美人、おひさはキュートな看板娘、おきたはクールビューティーという人だったそうで、それをきちんと描き分けているのですが、今の眼から見るとよく分かりません。
なお、最初は実名入りで作られていたそうですが、風紀が乱れるとして名前を出すことが禁じられます。
それでも歌麿は美人の名前を判じ絵にして入れるという、反骨精神を披露したそうです。
浮世絵も芸術性ばかりでなく、見るところを見れば面白いものかもしれません。