SDGsなんて言葉を聞き出したのはそれほど古い話ではありません。
その頃に書いたブログです。
とにかくその最初の「持続可能な開発」というそこだけでも完全な矛盾だらけの言葉に呆れかえり、少し調べてみましたが、なにか「良いことをやりましょう」ということが手当たり次第に詰め込まれているようなおかしなものと感じました。
この本はそのSDGsに深く関わってきた南さん、稲場さんが書いたということで、その背景や経緯などが少しは分かりやすいかと思い読んだのですが。・・・
読んでみてもやはり「なんか変」という感覚は変わりません。
その経緯が書かれているだけに「さらに変」という思いもしてきます。
著者の一人、南さんは日本政府の主席交渉官として、2012年から15年にかけて国連でSDGs交渉に当たってきたということです。
その裏側まで熟知している人でしょう。
「持続可能な開発」という言葉について、国連でその前段階の交渉にあたっていたブルントラント委員会で定義されているそうです。
それによると「将来世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、現在のニーズを満たすような開発」のことだそうです。
そんなものがあり得ると思っているということで、いかに胡散臭いかということが分かるようなものですが。
現代の人間社会は地球の再生能力の1.69倍の資源を使っているそうです。
これはもちろん、持続可能な状態とは程遠いものでしょう。
すぐさま、1.00倍以下に引き下げなければならないのですが、それを強力に進めようということをするとSDGsなどは成立しないままでしたでしょうから、かなり甘い妥協案となってのでしょうか。
SDGsは国連で2015年に成立したのですが、その経緯は古いものです。
一つの起源は「持続可能な開発」で、これは1987年に元ノルウェー首相のブルントランドが座長を務めた国連の「環境と開発に関する世界委員会」が提唱したものでした。
もうひとつは、「ミレニアム開発目標」で、2001年に提唱された途上国の開発のための開発目標でした。
MDGsはアフリカなどの途上国の問題と認識されていたのですが、それと持続可能な開発とを結びつけて全世界が取り組むようなものに再編したのがSDGsだということです。
これを考え出した知恵者がやはりいました。
コロンビアの外務省から国連に来ていた、ポーラ・カバジェロと言う人で、彼女が2011年にMDGsに環境問題を加えたものを主張したのが始まりだそうです。
このような壮大な構想だけになんとか形にして全世界で取り組むことができるようにするためには多くの努力と創意がなされたようです。
というか、何とかこねくり回して理想も目標も薄めて成立だけを果たしたようにも見えますが。
もう一人の著者の稲場さんは日本国内でSDGsを広めるNPO活動をしてきたということで、様々な事例を紹介しています。
ただし、ここもやはり「良いことをやりましょう」に当てはまるものならば何でもという雰囲気があり、あえて「持続可能」という必要がどこにあるのかと感じてしまいます。
「地球一個分」の社会に変えなければ持続は不可能だということで、一章を設けて説明されています。
冒頭にも紹介したように、現在は地球の再生能力の1.69倍を消費しているということです。
この数値の算定には多くの研究者が共同で参加したということですが、どうも甘すぎるようにも思います。
食糧や森林などでも再生にはほど遠く、エネルギーはほぼ再生できない状況でしょう。
それは置いておいて、1.69倍でも大変な数字です。
しかしこれは「全世界で平均」であり、先進国の多くははるかに多い数字となっています。
アメリカは4.97倍、日本でも2.76倍、1倍(収支トントン)の国はインドネシア、ボリビアといった中位低所得国とされる国です。
「全世界平均を1.0に近づける」には先進国の消費を抑えなければならないはずですが、それは強調されていません。
おそらく、強調してしまえば先進国がこのよな運動には参加しないとなることを恐れたのでしょう。
しかし、まずそれをしなければ何をしたところで効果は出ないでしょう。
そこにこのSDGsの胡散臭さが集中しているようです。
SDGsは「行動の10年」で2030年までに目標を達成するそうです。
2015年に始まったとしてももう現在で半分の期間が過ぎ去っています。
目標のどれほどが達成されたのか、ほとんど目に見えません。
それどころか、別の情報では「SDGsなど誰も知らない」状況が世界中で広がっているそうです。
やはりどうにもならない絵に描いた餅だったようです。