爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

kame710さんの記事「軍事費増大は戦争の危機?は杞憂か」を受けて

ブログ「 カメキチの目」でkame710さんが頭書のような表題で書かれていました。

kame710.hatenablog.com

私の見たところ、杞憂どころかすぐそばにまで近寄ってきた戦争の危機だと感じます。

 

それはなぜか。

カメキチさんも時代劇でおなじみの「用心棒」に例えていましたが、用心棒もかなりの報酬を払わなければなりません。

払いが悪ければ下手をすると居直り強盗に変じると言った様子も良く描かれているようです。

こういった例は新興国の軍隊のクーデターなどでよく見られるものです。

 

ならば十分な報酬をしかも数多くの用心棒に払っていく方が良いのか。

戦国時代を描いた七人の侍などの映画のように、盗賊団がしょっちゅう襲ってきて金を奪い人を殺していく状況ならばそれも必要でしょう。

しかしそこまで危機が迫っていない状況なら、盗賊団が相手ではなく近所でも仲の悪い家との小競り合いのための武力(用心棒)となるのでしょう。

乱世の盗賊団なら絶対悪とも言えるでしょうが、同じような立場の近所の家との抗争に使う用心棒は何のためのものでしょう。

 

どうも現在の危機意識を煽るやり方も、ご近所の家を盗賊団のように見せかけ、用心棒を増やしたいかのように見えます。

 

用心棒の報酬というものは、どうやらかなり高くつくもののようで、普通の使用人の給与の何倍も払うほどのものです。

そんな用心棒を何人も抱えていれば本業の儲けもどんどんそれに吸い取られてしまいます。

守るべき財産も擦り減らして消えていきます。

もはや、何のために用心棒を雇っているのかも分からなくなっていきます。

 

そのうちに、用心棒代を少しでも取り戻そうなどという考えを持つ者も出てきます。

誰かが襲ってくるときのためだけでなく、用心棒を使って近所の家に押し入り強盗をしてこようなどということを始めるかもしれません。

 

変なたとえにしてしまいましたが、軍備は完全に防衛のためならば使わないのが最良であり使うような事態になれば大変なことです。

「使わないのが最良」のものに多額の予算をつけて国費を注ぎ込むとはなにか。

金を捨てているようなものです。

それも国内の軍需産業に金を回すならまだしも、アメリカの兵器を買うだけであれば金も国内には残らずアメリカに上納するばかりです。(それがこの騒ぎの最大の裏事情なんですが)

結局は貧しくなっている日本をさらに貧しくするばかりでしょう。

そうなるとさらに「使わない軍備を有効に使おう」などという勘違い連中が力を増してくるかもしれません。

 

戦争は絶対にやってはいけないなどということは普遍的な真理ではありません。

日本でも日清戦争の勝利で得た巨額の賠償金はその後の国の進路を誤らせるほどのものでした。

日本は第二次大戦で完膚なきまでに敗けたのでもはや「戦争ビジネス」という感覚は完全に持てなくなりましたが、そこで勝ったアメリカなどはまだそれを持っている人間が多いようです。

 

象牙の箸の故事のように、かすかな前兆から国の危機を感じ取るのは聖人でなければできないことかもしれませんが、このような軍備増強をみてそれを感じられないのはよほどの愚人だけでしょう。

そのような愚人が国の政治を行なっている、それこそが国の最大の危機です。