爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「『ユダヤ』の世界史」臼杵陽著

書名が少し変わっています。

ユダヤの歴史」といった本は何冊も出ていますが、この本では「ユダヤの世界史」

そこに著者の意図がありそうです。

 

また、「ユダヤ」であり、「ユダヤ人」でも「ユダヤ教徒」でもないというところにも意図があります。

英語などでは「ユダヤ人」も「ユダヤ教徒」でも一つの言葉で言い表せるのですが、日本語ではそうはいきません。

ユダヤ人/教徒」としなければ正確には伝わらないのですが、いちいちそうするのは煩雑なので本の中でも場所によって書き分けざるを得なかったそうです。

 

ユダヤ人とは何かということも問題になります。

しかしこれには妥当かどうかはともかく法律的には線引きがすんでいます。

イスラエルの「帰還法」という法律の中で、「ユダヤ人を母とする者、またはユダヤ教徒」とされました。

しかし第二次政界大戦前にカトリックに改宗し、ホロコーストに直面したユダヤ人を救ったダニエル神父(オズワルド・ルファイセン)という人物がイスラエル建国後にイスラエル国籍を求めたもののイスラエルが拒絶したことで、この定義に「他宗教に改宗しない者」という条項が付けくわえられました。

 

ユダヤ人は古代からディアスポラという離散を繰り返し世界各地に散らばったために、人種的にも大きく異なる人々を含んでいますが、そのような多様性がある一方でユダヤ教という共通する要素でつながる統一性というものも持っています。

バラエティーが多いからといって別だと考えるのも間違いですし、皆同じというわけでもないようです。

 

なお、ディアスポラ(離散)には迫害というものが付き物のように考えられていますが、実際には人々の意志としてパレスチナを離れて他の地域に移ったということも多かったようです。

 

本書内容は非常に多岐にわたりさらに詳細なため、簡単に紹介というわけにもいきません。

ユダヤの歴史ですが、古代から現代まで扱っているものの、近代以降の部分が多く現代のイスラエルや各国ユダヤ人を対象とする部分が多いようです。

中から印象的な部分のみを書き留めておきます。

 

ユダヤ教の聖書はキリスト教で言う旧約聖書ですが、もちろんユダヤ教ではそのような言い方はしません。

三部構成となっており、律法、諸預言者、諸書からなります。

これらは紀元前5世紀から4世紀に成立し始め、全体的な形が確定したのは紀元後1世紀末で完成までに500年かかっています。

 

中世まではキリスト教徒のユダヤ人に対する憎しみは非常に激しいものでした。

しかしキリスト教宗教改革プロテスタントが出現すると、彼らは教会に権威を認めず聖書のみに敬意を払うこととなり、旧約聖書新約聖書と同様に見るようになり、旧約聖書聖典とするユダヤ教徒の見方も変わることになります。

エスキリストが神の世界を実現するためには旧約聖書の記述も実現されなければならず、ユダヤ人も救済されるという考え方ですが、これはユダヤ教徒にとっては危険な思想であり、尊重されるようになったのか、ユダヤ人の存在自体を変革させるのか、簡単に乗っかることはできないものでした。

 

ヨーロッパのユダヤ人が主導しイスラエルの地に帰還して建国しようという、シオニズムという思想で現在のイスラエルもできており、その他の思想は黙殺されています。

18世紀にフランスで啓蒙思想の影響を受けてできたユダヤ啓蒙主義(ハスカラー)というものがあったということも忘れ去られています。

万国イスラエル同盟、アリアンスという運動が1860年代に作られ、フランスのユダヤ人が地中海に住むユダヤ人たちにヨーロッパ式の知識を啓蒙するという形でした。

そして当時オスマン帝国の勢力下にあったパレスチナにも入植するという動きもあったのですが、その後はそのような運動があったことも忘れ去られ、参加した人々もそのままシオニズム運動に同化していったそうです。

 

第一次大戦後、ドイツなどに加わったオスマン帝国もその領土の多くを失いました。

その中でイギリスはパレスチナ委任統治領として得ます。

この委任統治というのは、それまでのような露骨な植民地化というものができなくなった状況で、敗戦国の領土を自らのものとする意図があり、イギリス・フランスは旧ドイツ領やオスマン帝国領を、日本は旧ドイツ領南洋群島を得て委任統治しました。

パレスチナをはじめとしてトランスヨルダン、イラクもイギリスの委任統治領となるのですが、その後のイギリスの行動はこの地域の不安定化をもたらすような無責任なものでした。

 

現在、ユダヤ人の人口が非常に多いのがアメリカです。

ユダヤ人のアメリカ移住には何度も波があり、最初は17世紀にスペイン・ポルトガル系の人々が少数ですがアメリカに入りました。

19世紀になるとドイツ系のユダヤ移民がやってきます。

中でも最大のものが19世紀末から20世紀にかけて東欧・ロシアからやってきた移民です。

これはロシア帝国ポグロムという意図的なユダヤ人迫害の政策のせいで、それから逃れようと多くのユダヤ人がアメリカにやってきます。

ところが、彼らはほとんどが何も持たずにやってきた貧しい人々でした。

その少し前にやってきたドイツ系ユダヤ人はすでにアメリカ社会で安定した地位を得ていたのですが、ロシア系の貧しいユダヤ人たちが問題を起こすのを恐れていたそうです。

それでも彼ら新移民のために教育や雇用といった問題へ力を貸しました。

これは貧しいユダヤ人が問題を起こすことで反ユダヤ主義が起きることを恐れてのことでした。

 

多くの迫害を受けてきたユダヤ人ですが、現在のイスラエルではパレスチナ人を迫害する立場となっています。

民族問題というのは簡単なものではないということでしょう。