爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「約束の地」と人類史

イスラエルパレスチナ難民の衝突が激化し現在のガザ情勢となっています。

第二次大戦後にイスラエルを建国させたことが問題を大きくしましたがそれ以前のユダヤ人の受難ということも影響しました。

「約束の地」という言葉がユダヤ教の聖書にも書かれており、それがパレスチナの地であるということからここへ帰還したいという思いがシオニズムとなります。

約束の地 - Wikipedia

ちなみに「シオン」というのはパレスチナの地の名称ですが、最近は日本人の子供の名前にも登場することがありますが、シオンのいわれがわかって使っているのでしょうか。

 

それはさておき、イスラエル建国に至る以前には別の土地にユダヤ国家建設という動きもあったのですが、シオンの地を望む声が強く結局は無理やりパレスチナ人を押しのけてイスラエル国家建設となりました。

 

そこにはやはりパレスチナ(シオン)がユダヤ人にとって「約束の地」であるという思いがあったのでしょう。

 

さて、ユダヤ教の教義ではそうであっても、すでに解明されている人類史によればそこがユダヤ人の約束の地となった年代はそう古いものではありません。

 

大方の研究者が同意するホモサピエンス(新人)の誕生は20万年から30万年ほど前のアフリカであり、その後何度かアフリカを出ることがあったようですが、最終的に現在の世界各地に広がった人の先祖の出アフリカは7万年ほど前のことと考えられています。

それからしばらくは中東の地にとどまりその後4万年ほど前から世界各地に広がっていきました。

その初期にはまだ異民族への分化もさほど進まず、現在のアフリカの諸民族以外の世界の民族(白人種、黄色人種などと言われる人々)はほぼ同一の民族であったのでしょう。

その当時の人々がもしもシオンの地が神との約束の地だと考えていたとしたら、現在の白人種黄色人種のすべての人々の約束の地でもあります。

日本人であっても中国人でも、ヨーロッパ人でも、みなパレスチナを約束の地と主張してもよいことになります。

しかし実際にはそこから出発して世界各地に広がり、そこから人種の差もできてきて一見したところ全く異なる民族であるかのように見えることになりました。

 

そういった人々のグループが各地を流れ歩きやがて農耕の開始からは定住するようになっていきます。

「我らの地」という意識はそれから後のことでしょう。

これが1万年ほど前からのことです。

ユダヤ民族の「約束の地」というのもこれ以降のことで数千年の歴史です。(それでも長いといえば長い)

ただこの意識の醸成にはバビロン捕囚という歴史も大きく関わっていたようです。

新バビロニア王国のメブカドネザル2世により当時のユダヤ王国は滅ぼされ多くのユダヤ人がバビロンに連れていかれました。紀元前600年頃の話です。

それがユダヤ民族意識を強めユダヤ教の強化につながりました。

その後ペルシア帝国が設立されるとユダヤ人は帰還を許されますが、それで再興したユダヤ王国もローマ帝国により支配されやがて滅ぼされてユダヤ人は追い払われます。

 

そういった歴史を見ていくと現代のパレスチナの地が「約束の地」とされたのはせいぜい数千年前のことで、その後2000年ほどは離れていたことになります。

 

とはいえ、ヨーロッパ各国の成立などはその時代よりはるかに新しい話でありほとんど歴史の長さなども言えないほどですが。

 

人類史というものを見ていると現代の民族間の闘争などというものがほとんど兄弟げんかのようにしか見えません。(だからこそ激しいとも言えますが)

人類の英知などというものが本当にあるのなら、なんとか争いを収める方向で使われるべきでしょう。