経済学者の内橋克人さんは昨年お亡くなりになりましたが、多くの著書を発表してきました。
その最も活躍された時期に「ニッポンの技術力」の問題点を厳しく指摘したのがこの1982年に刊行された本です。
当時は数多くの貿易摩擦を引き起こした対米輸出も繊維や電器といったものから自動車という、アメリカの工業力のシンボルとも言えるものをターゲットとするまでになり、「すでに日本の技術力はアメリカを越えた」という意識が日本を広く覆っていた頃です。
さらに、国産宇宙ロケットや原子力発電といった分野でも日本の技術は発展しているという論調で語る人が数多くいました。
しかし、その実態はお粗末なものであり、本当の核心部分はやはり欧米の技術には及んでいないということを内橋さんが数多くの取材を重ねて主張したものです。
当時は多くの先端技術の製品で「99%国産化を成し遂げた」といった話があちこちで聞かれました。
しかし、内橋さんによればその「残りの1%」が核心的な技術でありそこには日本はまだ遠く及ばないということです。
1980年、種子島宇宙センターから打ち上げられた実験用静止衛星「あやめ2号」は最終段階で突如コントロールを失い宇宙の彼方へ消えました。
この失敗の原因はアポジモーターという、衛星本体に組み込まれる固体燃料ロケットなのですが、これはすべてアメリカの宇宙産業メーカーにより作成されており、日本のロケット製造企業の設計図にはその部分は白抜きとなっている「ブラックボックス」だったそうです。
他の部分の大半は国産ではあっても、肝心の中枢部はブラックボックスという例は他の産業でも多数見られていました。
その当時世界で販売されるカラーテレビの大半を製造していた日本ですが、ドイツのAEGテレフンケンという企業の保有する基本特許にかかるため、AEGに対し1台で1000円以上の特許料を払い、さらにヨーロッパ各国に対する輸出はAEGの割り当て通りの数量しかできなかったそうです。
このように「世界の工場」として制覇したかのような日本企業ですが、その実態は「永久賃加工国」に過ぎないということです。
製品製造の細部までうまくやるということにかけては定評のあった日本ですが、それ以上の基本は欧米に抑えられていたというのが実態でした。
この本の出版から40年、事態は大きく変わってしまいました。
「永久賃加工国」ですら無かった日本は衰退してしまいました。
その座は中国や東南アジア各国に取られ、日本は安くなった人件費をもとに「下請け製造国」の位置になりそうです。
内橋さんの指摘を正確に理解し、当時から基本的な研究開発に向かっていればまだこういう事態にはならなかったのかもしれません。
それにしても中国はすでに「賃加工国」からの脱皮までなそうとしています。
どこにその要因があるのか。
アイデアを盗むばかりではそうはいかなかったでしょう。
やはり人材育成に国を挙げて取り組んだということか。