爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「腐臭の国」日本をその元凶と共に葬るためにしか見えない「国葬」

安倍国葬の当日となり、反対運動などで騒然としているところもあるようです。

まあ、九州の片田舎は何事もないかのような静けさですが。

 

熊本県内でも県庁をはじめ多くの市町村で半旗は掲揚するも、弔意の強制はなし。

ただし、一番長い物巻かれかと思っていた八代市では半旗も掲揚せず。

 

思えばあの「悪夢のような」民主党政権(もちろん自民党の連中にとって”悪夢”でしかなかったのですが)に代わり、「日本を取り戻す」と言って政権に復帰した安倍政権。

それは「日本の『利権』を取り戻す」という意味だったことは間違いないことです。

 

その当然の帰結として、「腐臭」だらけの日本になってしまいました。

なにしろ政権中枢が利権漁りに必死で何かないかと探し回っていたようなものですから、そうなるのが当然でしょう。

 

その不動のセンターが、その利権漁りの活動とは少し違う方面で、とはいえ日本の民主制度にとっては大きな点で、深い恨みを買って暗殺。

どこにも正当性が無いにも関わらず吉田茂以来の国葬

こんなのと引き合いに出されて吉田さんも迷惑でしょう。

まあ似たようなものかもしれませんが。

今頃地獄のどこかで二人で喧嘩しているかもしれません。

 

しかし、嫌々ながら来た諸国の「元」首脳たちもこの異様な雰囲気には思う所もあるのでしょう。帰ってから「現」首脳にはどのような報告をするのでしょうか。

 

このような「腐臭」については、ツイッターなどにも多くの人が書いています。

しかし、本当に腐りきっている政権中枢ですが、それだけではありません。

中央政界からそれと深く結びついている(それだけが存在理由)地方政界まで隅々まで腐り切り、利権に近づくことだけが目的のような連中が溢れています。

政界だけでなく、経済界も政権に結びつきおこぼれを貰うだけを目指すものたちが跋扈しています。

 

このような腐臭だらけの日本、それを元凶とともにすべて葬り去ることができるのなら、「国葬」も意味があるのかもしれません。