筒井康隆さんはSF作家として名を成しましたが、演劇が非常に好きであり自らも映画俳優を目指して映画会社の募集に応じた経験もありました。
そのような映画好きというものは非常に幼い頃から築かれたものであり、幼児の頃から家族に連れられて見に行った経験から始まりますが、やがて第二次大戦敗戦後の著者中学生の時代には一人でも見に行きたいという欲望を抑えきれないようになります。
当時は入場料金も安かったとはいえ、子どもの小遣いで賄えるほどのはずもなく、親の金を持ち出し、さらには御父上の蔵書を売り払い、御母上の着物を売って金を作るという行為に出ます。
そのような所業を総括し「不良少年」として本の題名ともしたわけです。
なお、ご両親も薄々は感付いていたのでしょうが、最後まで表立った問題とはすることなく済んだのは幸いだったのでしょう。
そのようにして見たのは当時の映画の中でも特に喜劇でした。
ただし、戦後の混乱期でまともなフィルムが無いものも堂々と掛けられていた場合もあり、画質が悪い程度は良い方で途中が抜けているといったものもあったようです。
そういった映画を、著者が見た順番ではなく制作年度の順番に並べています。
これも一つの見識かもしれません。
映画製造のピークは戦前の昭和12年あたりにあったようで、その頃には数もさることながら質も高いものが数多く作られました。
それは輸入映画でも同じで欧米の映画がいくつも輸入され毎週のようにロードショーを行いました。
そういった映画のフィルムが戦争をくぐり抜けて戦後の映画館の映写幕を飾ったことになります。
それにしても気に入った映画は何度でも見たようですが、細部まで詳しく覚えていることにはびっくりします。
もちろん、「キネ旬」すなわちキネマ旬報の紹介文も参考にしているのでしょうが、喜劇であればギャグの出来具合に至るまで詳しく記述されています。
それを見た当時は中学生程度の少年であったことを思えば驚きも増します。
やはりよほどの映画愛というものがあったのでしょう。
なお、キネマ旬報の映画紹介のコーナーでは批評家たちの批評文も掲載されていたようですが、その書き方の辛辣さには驚きます。
今もしそのような新作映画の講評を書いてもここまでボロクソに批判したらまずいのではと思うような文章が並んでいます。
まあかなり映画も粗製乱造の様子だったので、批判するしかなかったのかもしれませんが。
なお、描かれている映画のほとんどは見たこともないものですが、黄金狂時代、キング・コング、歴史は夜作られる、といったものは洋画では有名なものでしょう。
邦画ではエノケン、エンタツ・アチャコなどの作品はどんなものかの想像はできます。
しかし映画を見た際の映画館の混雑ぶりの描写というものは、今では想像もできないものでしょう。
それだけ大衆の娯楽として大きな存在だったということです。