爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

福岡の思い出 その3 その後

1965年(昭和40年)私の小学校4年の終わりに、父の仕事も予定の3年間が終わり、東京支所に栄転?の運びとなりました。

その頃はまだ家具家財も大したものではなく、引越しもそれほど大変だったような感じもありませんでした。

 

荷造りをしている最中に、いつもの野球仲間の近所の友達がグローブ片手に誘いに来て、「もう引越ししちゃうんだ」と話したのも印象深く残っています。

 

荷出しして出発は翌日ということで、別に何もやることもないので太宰府に行って参拝、その後近くの遊園地で遊んだことも覚えています。

 

これで九州とも縁が切れ、ほとんど行くことも無かったはずが、それから10年余りたって私自身が就職して熊本赴任ということになってしまいました。

関東から熊本に行くには、列車利用なら博多経由ですし、飛行機利用の場合でも当時はまだ熊本空港からの交通が不便だったので、特急で博多まで出て福岡空港利用の方がかえって便利ということがあり、福岡はよく通ることになりました。

 

その当時はまだ丘の上のテレビ塔も健在で、列車の窓からもよく見え、あのすぐ下に住んでいたんだなと通る度に思ったものです。

しかし、博多駅で降りたとしても行くのはせいぜい駅周辺程度で高宮方面には行くこともありませんでした。

 

それが、少し後のことになりますが、2007年に会社の社内旅行で福岡に1泊2日で行くということになりました。

一日目は太宰府九州国立博物館を見学、福岡市内で一泊し翌日は午前中はキャナルシティでショッピング自由行動というので、これは良い機会だと思って幹事に交渉し二日目朝から別行動させてもらうこととして、高宮に行ってみることにしました。

 

西鉄高宮駅下車、昔とは違って大きなビルが立ち並び面影はありません。

しかし、何とか道をたどってかつて住んでいた方向に向かいました。

するとちょうど良い目印が。

墓地の横を曲がるというのが目印になっていたのですが、さすがに墓地はそのままでした。

さらに、そこから歩いていくと建物こそ全く違うものの父の勤めていた会社の社宅の看板がかかっており、そこだったと判りました。

とはいえ、周囲の状況も当時の建物などは全く見られずその看板がなければどうしようもなかったでしょう。

 

そこから小学校の方に向かっていくつもりでしたが、その前に高宮八幡宮の方向へ。

八幡宮の石段です。

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そこの辺りから反対側を見るとテレビ塔が見えました。

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テレビ塔の手前に右側に白、左側に茶の建物が見えますが、昔はそれらは無く子供でも入っていけるようなところでした。

ネットで見てみると、このテレビ塔は2008年頃に解体されたということです。

ギリギリのタイミングで見ることができたようです。

 

そして小学校の上の池の周辺です。

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池自体はそれほど変わりはないようですが、周囲にマンションが立ち並ぶというのは大きな変化で、昔は林だったと思います。

 

この反対側が通った小学校でしたが、当時は木造の校舎だったものがさすがに今は鉄筋コンクリートになっていました。

 

そこから歩いて平尾駅に出て、西鉄で天神まで乗り、ゆっくり歩いてキャナルシティへ、昼食ものんびり食べて十分時間は間に合いました。

 

その後、実家に帰った時にその話をしたところ、2歳年下の弟もやはり福岡出張があった時に行ってみたということを聞きました。

しかし、どこがどこやらさっぱり分からなかったとか。

弟は幼稚園から小学校2年までの3年間ですので、やはり子供時代のこの2年の差は大きいのかなと納得した次第です。

 

その後も金沢単身赴任の時には帰省は飛行機を使う場合は小松から福岡に出ましたので、福岡はよく通過だけはしました。

通る度に思うのは、街行く女性がきれいな事。

まあ好みの問題もあるのでしょうが、私にとってはこれまで行ったことのある町では一番です。

コロナ禍でほとんど外にも出なくなって久しくなりましたが、福岡にはまた行ってみたいものです。