爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

福岡の思い出 その1 学校、遊び

最近引越しの話や、昔の九州の国鉄の話などを書いたためか、少年時代の福岡のことを思い出してしまいました。

もう60年も前のこととなり、この先どんどんと忘れていくでしょうから、覚えているうちに記録しておこうと思い立ちました。

 

父の仕事の関係で福岡に住んだのは、昭和37年(1962年)4月から昭和40年(1965年)3月までの3年間です。

私が小学校2年から4年まで、まだ気楽に外で遊びまわっていた年ごろでした。

 

会社の社宅があったのが、西鉄高宮駅から西にすぐのところ。

今では高級住宅街のようですが、その頃は町はずれの雰囲気があり、すぐ近くには小高い丘が森に覆われていました。

 

子供の足で歩いて15分ほどのところの小学校に転入しました。

西高宮小学校で、隣の高宮小学校とともに芸能人が多数出ていることで有名なところですが、もちろんその頃はそんなことは全く知りませんでした。

関係する地域の現在の地図です。高宮八幡宮と書いてある字の辺りに家があり、左上の大楠平和線という字の辺りが小学校の位置でした。

西鉄で天神から3つ目の高宮駅、現在では都会の真ん中と言ったところですが、当時はすぐそばまで山が迫っているという感覚でした。

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ちょっと大きくしてみるとこのような感じです。

高宮八幡宮は山の中腹、その先の現在はマンションが立ち並んでいるところにはテレビ西日本テレビ塔があり、小高い山でした。

その先に浄水場があり、そこらは完全に山の上で山林が生い茂っているイメージでした。

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その頃は友達と外で遊びまわるのが毎日の日課のようでした。

高宮八幡宮テレビ塔の下の崖などで遊んだ記憶があります。

また家の近くに結構広い空き地があり、そこで近所の子どもたちと野球をやったりしたものです。

彼らは皆西鉄ファンでしたが、自分は東京生まれという思いがあったのか(本当は浦和生まれでしたが)一人だけジャイアンツの野球帽をかぶっていました。

 

小学校の校区がどこまでだったのか、子供にははっきりしたことは分かりませんでしたが、学校の友達の家に遊びに行ったのが、昔の筑肥線の線路の方だったような気もします。

結構遠くまで歩いて行ったような記憶ですが、家に着いたらその友達はバイオリンのレッスンの時間だということで、家の外で待たされました。ギーコギーコとノコギリのような音が聞こえていた覚えがあります。

 

(結構長くなりそうなので続く)