爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

追憶の場所を訪れた記憶

最近「追憶の場所のマナー」というエッセーを読みました。

私も転勤族の父親のせいと自分自身も転勤族となったこともあり、これまでに20か所ほどのところに住んできました。

今住んでいる場所やその近くは改めて訪れるということもありませんし、父母が住んでいた場所は今でも弟が住んでおり何度もいっていますのでいまさら「追憶」などと言うことはありません。

しかし、確かに「一度は住んでいたが離れて以来ほとんど行く機会もなく、それでも懐かしさのあまり訪れた」ということが何度かあります。

そういった所について、まとめて書いておこうと思います。

 

生まれた頃住んでいた場所。

埼玉県の現在はさいたま市、当時は浦和市の別所というところでした。

私が生まれそして2歳になる頃まで住んでいたということです。

その後父の転勤で名古屋に移りました。

ここをその後訪れたというのが2回あります。

離れてから10年ほどたち、名古屋福岡と転勤の後ようやく東京支社に転勤となって東京の三鷹に転居しました。

私が小学校5年の時です。

その頃に母がやはり一度行ってみたいと思ったのでしょうか。

休みの日に私と弟を連れて浦和まで出かけました。

とはいえ、歩いて家のあった付近を散策ということもなく、バスに乗ってその付近を通り過ぎるだけで帰った覚えがあります。

母としては結婚して初めて住んだ所でもあり、二人の子どもを出産した場所ですので、思い出も多かったのでしょう。

ここにはその後私も一人で訪れたことがあります。

母との再訪から40年も経った頃、仕事で川崎に単身赴任していた時期があり、もうこちらに住むこともこの後はなかろうと思って昔住んでいた場所を訪ねてみようと思いました。

以前は京浜東北線しかなく、父はおそらく南浦和の駅から2kmほど歩いて通っていたはずです。

しかしその後いろいろな鉄道路線が開通し、埼京線武蔵野線武蔵浦和という駅がすぐそばということが分かりましたので、そこから歩くこととしました。

もちろんそこにいたのは私が2歳の頃までですので記憶はまったくありませんが、別所小学校のすぐ近くでガソリンスタンドがあったということは聞いていましたので、それを目当てに歩きました。

するとほどなく別所小学校があり、その隣にガソリンスタンドもあったのでここかと納得したわけです。

その後子供の頃に親が散歩で行ったと聞いたことのある別所沼から浦和駅の方に抜けて帰りました。

 

同じ時期に訪れたのが東京の三鷹市でした。

ここには父の転勤で福岡から東京支社への移動となり会社の社宅に入ったのでした。

小学5年になる時で、転居すると父はすぐに自宅の建設を始めましたのでそれが出来上がるまでの1年3か月だけ暮らしたことになります。

もうかなり大きくなった頃でもあり、記憶は確かだろうと思ったのですが、行ってみても家がどこにあったのか全く分かりませんでした。

やはり川崎の単身者寮に住んでいた頃に休みの日に電車で三鷹まで。

三鷹の駅が記憶とは全く異なり大きな駅となっていました。

そこから南口にでて右方向に行ったはずですが、だいたい記憶通りに進んでも目印もなく見覚えのある場所もありません。

そこから通った小学校まで行ってみることとしましたが、さすがに小学校はそのまま存在していました。

その通学路も覚えがなく、遊んだはずの付近にも見覚えはあるものの肝心の家の位置がよく分かりませんでした。

 

その後熊本に転勤で戻った頃に会社の社内旅行で福岡に行くことがあり、自由時間があったので幹事に頼んで自由行動とさせてもらい昔住んでいたところを訪れました。

福岡に居たのが小学2-4年の3年間、1962年ー65年でした。

その時からはだいたい40年を隔てての訪問です。

宿泊地の薬院から一人で電車に乗り高宮まで。

そこから昔の記憶をたどり歩いたのですが、意外にポイントの変化が少なくたどり着けました。

そのポイントというのが墓地で、さすがに墓地は無くなったり移動したりということがなく昔通りだったようです。

さらに家の建物は全く変わっていましたが、父の会社の社宅であるのは変化がなく、そういう看板が出ていたのでここかと思ったわけです。

(道の左側奥の石垣の上が目印の墓地、道の右側の建物が現社宅)

その後、当時遊んだ山の方の神社などに足を伸ばし、通っていた小学校まで歩いてみました。

その頃は自動車などはほとんど見ることもない道だったのですが、さすがに車の通行も多くなっていました。

小学校は昔は木造2階建てでしたがさすがにもう鉄筋コンクリート

周囲にも家やマンションが立ち並び雰囲気は残っていませんでした。

ただ学校のすぐ上の池はそのままでした。

(西高宮小学校です。芸能人が何人も卒業生であることでも有名)

これまで住んでいた場所を整理して思い出してみましたが、そこを離れて以来一度も行ったことのないというところも何か所かあります。

5歳から小学1年の終わりまで住んでいた名古屋市大久手町。

33歳から三年間会社からの派遣で行っていた群馬県前橋市

54歳から三年間、やはり出向で行っていた石川県野々市市

この三か所はおそらく今後も行くことは無いでしょう。

今はグーグルマップというものがあり、そこの風景も見ることができますが、前橋と野々市は当時のまま、名古屋は家は無くなり駐車場となっているようです。

 

生まれた時からずっと同じ場所に暮らしているという人も多いのでしょうが、あちこち動き回った人生もまた良いものです。

思い出が詰まった場所がその後の経験とは完全に離され、その時のままでとどまっています。

このあと、そこを訪れても良いものか悪いものか。

記憶はそのままで取っておくほうが良いのかもしれませんが。