爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

祝、名古屋テレビ塔国重要文化財指定、ついでに名古屋で過ごした幼年時代の思い出。

名古屋市久屋大通にそびえたつ名古屋テレビ塔が国の重要文化財に指定されることが決まったそうです。

www.nikkei.com

電波塔としては日本で最初の建設であり、昭和29年(1954年)に開業しています。

私が名古屋に引っ越していったのは昭和32年、まだ2歳の頃で当然その頃の記憶などはありませんが、その時にはすでにテレビ塔は立っていたことになります。

その後の印象でもまだ高層ビルなどはなかった頃にはかなりの存在感があったように思います。

その数年後にできた東京タワーと比べると高さもさほどではなく、そのデザインもあまり高いと感じさせるようなものではありませんが、落ち着いた印象を与えるものだと思います。

もはやテレビ塔としては使われなくなっており、存続の危機も何度もあったようですが、何とか残って重要文化財指定ということですので、嬉しいものです。

 

私は生まれは埼玉県ですが、父の転勤で2歳で名古屋へ引越し、小学校2年になる前に福岡に引っ越すまでの約5年間を名古屋で過ごしました。

物心つく頃を名古屋で暮らしていますので、切れ切れではありますが色々な記憶が残っています。

 

名古屋に引っ越した当初は、会社の社宅が空いていなくて借家を借りることとなりました。

そこは今の地下鉄本山駅のすぐそばで、城山と言われていたところですが、住所は楠元町です。

城山八幡宮のすぐ下で今では大通り沿いに大きな建物が立ち並んでいますが、当時はまだ街外れという印象だったように思います。

すぐそばには東山動物園もあり、時々遊びに連れて行ってもらったように思います。

また時折は中心街の方にも出かけたのでしょうか、栄の商店街にも行ったように思います。

しばらくして会社の社宅に空きが出て同じ千種区内ですが大久手というところに引っ越しました。

そこでは幼稚園から小学校1年まで過ごしたのですが、近所に同年の子どもも何人かいて一緒に遊んだのでしょう。

小学校はすぐ近くの千種小学校に入学しましたが、今では交通量の多い大通りを渡った先のはずですが、当時はそれほど車の多かったというイメージもありません。

 

父も幼子を抱えてあちこち見せて歩きたかったのでしょうか、色々な所へ出かけたように思います。

父の仕事が貿易関係もあったのでしょうか、一度は取引の都合で入港していた輸送船を見に名古屋港まで出かけた記憶もあります。

今では名古屋港といってもあちこちに関連施設が広がっているようで、あれがどこの波止場だったのかも分かりませんが、大きな貨物船と外人の船員さんのイメージが残っています。

 

そんないろいろの記憶がありますが、冒頭の名古屋テレビ塔は外観のイメージは強くありますが、中に入ったという記憶が不確かです。

母の郷里から親兄弟なども何度も遊びに来ていますので、連れていった可能性も高いのですが、どうも「テレビ塔に登った」という記憶がありません。

まあ、それほど強い印象に残るほどとも言えないようで。

しかしまあ、「重要文化財指定」おめでとうございます。