爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

私と野球

この前のブログで、「私はアンチ巨人」と公表してしまいました。

だからというわけでもありませんが、「私と野球の関係」という思い出話など書いておこうと思いました。

 

私は昭和29年(1954年)生まれですが、日本の野球の流れと私の年齢を略記しておきます。

 

1956年(私1歳) セリーグは巨人優勝。パリーグ優勝の西鉄ライオンズ日本シリーズ西鉄が日本一

1958年(3歳) 巨人に長嶋茂雄入団、セリーグ優勝は巨人で日本シリーズでは西鉄と対戦するも、巨人3勝の後西鉄稲尾の大活躍で西鉄の3連覇

1965年(10歳)巨人が日本一、これから9年連続日本一のV9が始まる。

1978年(23歳)江川事件

以下略(この「略」というところに私の野球観が表れています)

 

私くらいの年齢の男子なら誰でもそうだと思いますが、子どもの頃はスポーツと言えば野球といったものでした。

 

それでも幼児の頃はまだ家にテレビも無く、父もそれほど野球などに興味も無かったようでラジオ放送を聞くでもなく、あまり野球には触れる機会がありませんでした。

 

しかし、小学校2年から4年まで父の仕事の関係で暮らした福岡では、周囲の環境から野球ばかりやるということになりました。

 

現在では福岡市内でも高級住宅街となっているような高宮に会社の社宅があり3年間過ごしましたが、当時はまだ郊外といったイメージであちこちに空き地がありました。

家のすぐそばにも一区画空いている場所があり、そこで近所の子どもたちが毎日野球をしていました。

集まる子どももせいぜい10人足らずだったでしょうか、私の2年くらい上の人から私の2歳下の弟くらいまで3-4年の幅はありましたが、小学校高学年から中学年程度が集まりました。

その数ではまともな野球試合はできませんので、三角ベースという二塁無しのゲームで外野などはなし(そこまでほとんど飛びません)さらに足りないときはキャッチャーも攻撃側が出すというものでしたが、子どもにとっては楽しいものでした。

その空き地が現在どうなっているのか、グーグルマップで見てみるのですが、さっぱり分かりません。

場所はこの辺というのは覚えていますが、現在のそのあたりは瀟洒な住宅が立ち並んでいるばかりで、全く当時の面影は無くなっています。

それほど広い空き地ではなかったはずですが、周囲も家などはなく雑木林だったようにも思うのですが。

 

福岡で初めての野球体験となるのですが、その当時はプロ野球でも西鉄ライオンズの全盛時代の記憶もまだ鮮明なころで、周囲の子どもたちも西鉄ファンばかりでした。

当時は皆学校に行くにも野球帽をかぶっていったのですが、皆西鉄の帽子。

そんな中、「自分は東京から来たんだ」という思いが強く(本当は埼玉生まれの名古屋育ちでしたが)私は野球帽は巨人のGYマークのものをかぶっていました。

 

小学校5年になる時に父が転勤となり東京へ引越し、さらに自宅を建設して翌年には神奈川に転居します。

この辺ではもうもちろん野球などができる空き地も無く、ボールを触るのもせいぜいキャッチボール程度となり、野球はやるものではなく見るものとなってしまいます。

ちょうどこのころが巨人の快進撃が始まる頃であり、東京近郊在住と言うことで巨人ファンであることに何の問題も無く、無邪気に巨人のゲームをテレビで見るということになりました。

 

中学ではスポーツはしなかったのですが、高校では運動部に所属(野球ではない)し練習や勉強が忙しくテレビなどを見ている暇もなく、野球への興味も薄れていきました。

また、私の高校はなぜか野球部の鼻息が荒く、それへの反感もあり野球自体に対する反感も芽生えてきました。

それでも3年になりインターハイ予選で敗退しクラブ引退の後、野球の県予選が始まると同級生たちと応援に出かけるということはありました。

 

大学に入ると神宮の六大学野球などを見に行くこともありました。

ちょうど江川卓が法政に入ったのと同時期であり、スタンドの上から見たこともありましたが、その距離でも身体の作りが大きいということがはっきりと分かり、圧倒される思いでした。

 

そして私の大学卒業と同じ時期に起きたのがあの江川事件でした。

これで決定的に巨人に対する意識が変わることとなります。

江川事件とは覚えている人もいるかもしれませんが、1977年のドラフトで江川を1位指名したクラウンライターライオンズ(現西武ライオンズ)の指名を拒否、1年間は「野球浪人」とすることにしました。

そして1978年のドラフトを迎えるのですが、その年のドラフト会議の前日が「空白の1日」であるという屁理屈で巨人と契約をしてしまったのです。

しかし当然ながらそれは両リーグおよび事務局により認められず、ドラフトは通常通り行われ、阪神が江川を指名しました。

江川は巨人と契約済みであると主張、混乱は続きましたが結局巨人から小林繁投手を阪神にトレードする代わりに江川を巨人に入団させるということで決着させました。

 

さらに、この年の4月に私は大学を卒業し就職、初めての赴任地が熊本だったのですが、熊本はまだスポーツと言えば野球だけというところでした。

入った会社にも工場の横に野球場があり野球部が終業後や休日に練習をしているという雰囲気で、社内大会でも野球大会をやるといったものでした。

しかも彼らはほとんどが巨人ファン、そういったものに対する反感も育ちました。

 

その結果、めでたく巨人ファンを卒業しアンチ巨人、しかもほとんどプロ野球も見なくなりました。

 

その後は野球といっても春夏に高校野球をテレビで見る程度となりました。

その高校野球野球留学と称する選手集めが盛んになってからはそれほど熱心には見なくなりました。

今はネットで調べれば甲子園出場校の選手たちの出身中学というものも分かります。

そこで「地元出身者ばかりのチーム」を探し出し、そこを応援するといったことをしております。

今年の夏の大会は、たまたま熊本代表の九州学院高校は全員が熊本県出身ということで応援していましたが、残念ながらベスト8で終わりましたが。

 

というわけで、野球というスポーツ自体は別に嫌いでもなく、もし自分でやる機会があってもできるとは思いますが、もう昔のようにプロ野球を楽しみにするということにはならなくなりました。

ただし、今年はヤクルトの村上の大活躍は楽しみでした。

熊本出身ということもありましたが、応援してしまいました。

とはいえ、今は別にテレビ中継があるわけでもないので、ニュースだけが楽しみですが。

なお、この先日本シリーズではヤクルトが出る可能性が高く、そこでの村上の活躍は期待できますので、久しぶりにテレビで野球が見られるかもしれません。