熊本市のFM局で、市内の小・中・高校の校歌を全校放送するという企画があったそうです。
kumanichi.comそれを取り上げた新聞記事で「熊本市の学校校歌は”阿蘇”がぞろぞろ出てくる」という記述があるのを見て、私自身が通った学校はどうだったかと思い返してしまいました。
幾度か触れたかもしれませんが、父親が転勤が多い職場だったため、小学校は何度も転校し、ようやく小学6年になって落ち着きました。
低学年で通った学校はもう記憶もあいまいになっていますが、この機会にそれらの学校を公表してみようかと思います。
(なお、いろいろと差し障りがありそうなので中学以降はまだ当分秘密にしておきます)
幼稚園
現在のホームページを見ると(まだ存続しているようです)なかなか立派な建物で園児の数もかなり多いようです。
昔のアルバムに幼稚園の写真が何枚か残っていますが、その頃は小さな建物でした。
千種区の会社の社宅に住んでいた頃で、周りの子どもたちと一緒に幼稚園のバスに乗って通ったような気がします。
そこにも「園歌」なるものがあったのかもしれませんが、まったく記憶にありません。
卒園時の記念写真も残っていますが、同じような顔に見える幼児たちですが、皆すべて66歳くらいになっているのでしょう。(生き残っていればですが)
小学校(1校目)
名古屋市立千種小学校
これもホームページを見ると、明治5年創設というすごい学校だったようです。
私が入学したのは昭和36年だと思いますが、その前年には開校88周年記念行事が行われていたようです。
もちろん、今は鉄筋の3階建てになっていますが、当時は木造でした。
家からの距離はせいぜい400m、大久手の交差点を越えるとすぐといったところです。
今はすごい交通量の幹線道路を越えて行くのでしょうが、当時はそれほど広い道と言ったイメージはありません。
まだそれほど自動車も多くは無かったのでしょう。
入学式の時の記念写真が残っていますが、担任の先生はかなり年配の女性ですがまったく記憶がありません。
木造の校舎の前にちらほらと咲き始めた桜、そこに子どもたちと親(ほとんど母親)が並んで写真に納まっています。
お母さんたちもほとんどが和服というのも時代を感じさせます。
なお、上記の学校ホームページには校歌の楽譜と歌詞も掲載されています。
これもまったく記憶にありません。
しかし、普通の校歌では山だの川だのが出てくるのですが、それが無いのも名古屋市内という特色でしょうか。
この小学校には1年生の1年間いただけで転校となってしまいました。
小学校(2校目)
福岡市立西高宮小学校
www.fuku-c.ed.jpこの学校は出身有名人が居るということで有名です。
ここには小学2年から4年までの3年間通いました。
当時は町はずれの山が近い所といったイメージでしたが、今では高級住宅街になっています。
西鉄高宮駅近くに社宅があり、そこから歩いて2,30分かかったように思いますが、今地図を見てみると1kmちょっと。
子どもの足では時間もかかったのでしょうが、すぐ近くのようです。
通学で思い出深いのが、その頃に目覚めた読書の楽しみが強く、毎日のように図書室で本を借りては帰ったのですが、それを読む時間がもったいなく、下校途中の道すがら歩きながら本を読んでいたことです。
家に帰ると近所の子どもたちと野球をしたり空き地で遊んだりで忙しく、その時間を取るために本を読むのは歩きながらというものでした。
西高宮小学校の校歌はホームページには載せられておらず、ちょっと調べても分かりません。
まあ記憶もありませんので、歌うこともできないでしょう。
小学校(3校目)
東京都三鷹市立第7小学校
父の仕事も最後近くなり、希望の勤務地ということで東京になり社宅も三鷹駅のすぐ近くになりました。
人口が増えている地域で学校も多く、家から一番近いのは第3小学校だったようですが、校区の関係かその横を過ぎてちょっと離れた第7小まで行きました。
小学5年になる時に転校したのですが、親はそれと同時に自宅の建設準備に入り、建設会社の選択などに取り掛かり、結局その翌年の7月には完成、転居となったのでこの小学校には1年と3か月ほど行っただけでした。
しかし、年齢も高くなっていたためか、学校の記憶も多く残っています。
校歌もはっきりと覚えており、ホームページには簡単な演奏例も掲載されているのですが、しっかりと歌うことができます。
なお、歌詞の中にはこの辺の学校では必ずある「富士」がやはり歌われています。
小学校(4校目)
6年生の夏休み明けに転入し、卒業までの半年ちょっとだけ在籍しました。
ここで知り合った友人たちとは今でも交流がありますし、いろいろと記憶も多く残っています。
ただし、ここの校歌というのはさすがに在籍期間がわずかだけだったためかあまり印象がありません。
ホームページには児童が歌うファイルまで入っているのですが、あまり覚えがありません。
歌詞の中にはやはり「富士」は不可欠のようですが、そのほか「松の花咲く砂の道」というのもいかにも茅ヶ崎らしいものです。
あの冬場の砂嵐には驚きました。
以上、「校歌」というものから、通った小学校などについて振り返ってみました。
さすがにもう覚えていないところもあるのは仕方ないことでしょうか。
なお、中高大の学校の校歌ははっきりと覚えていますが、それは内緒。