爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

持続可能性を妨げるものは何か その2 エネルギー

持続可能性を妨げるものは何かということで、その1では「資源の持続を考えていない」ことについて書きました。

そういう意味では最も大きな問題がエネルギーです。

完全に持続できないものの代表のような化石燃料エネルギーに依存しているのが現代の文明です。

その意味で、特にここにその2として「エネルギー」についてまとめてみます。

 

「持続できないものの代表」が化石燃料であると上に書きましたがこれはどういうことでしょうか。

 

判り易い言い方でいえば「使ってしまえばおしまい」ということです。

化石燃料は数億年から数千万年前までに繁茂していた微生物や樹木が土に埋もれ、その有機化合物が地中で変性してできました。

その総量には限りがありそれを使い果たせばもはや戻りません。

石油などではすでに初めの量の半分を使ってしまったとも言われています。

まだそこまでは使っていないという学説もありますが、それでも「いつかは無くなる」ことではほとんどの学者が同意していることです。

 

それでは「持続的なエネルギー」とは何か。

これはその1でも書いたように、太陽エネルギー、そしてその他に重力エネルギー、そして真の意味では持続的ではないのですが、太陽エネルギーと同じように人類の歴史と比べれば事実上永遠に近いということで、地熱エネルギーも含まれます。

しかし重力エネルギーは非常に微弱、また地熱エネルギーはわずかに利用している例もありますが、地球上のほとんどの地域では利用不可能です。

したがって、ほとんどの場合は太陽エネルギーが持続的エネルギーと考えて良いでしょう。

 

太陽エネルギーは太陽で起きている核融合反応により放出されています。

それが地球だけでなく太陽周辺に万遍なく振りまかれています。

地球が受けることができる太陽エネルギーはその内のごく一部に過ぎません。

しかし、その量は莫大なもので、およそ174PW(ペタワット)(17京4000兆ワット)という、よく分からないような単位のものですが、まあ相当大きいということは言えるでしょう。

これが人類が使っているエネルギーよりはるかに大きいから、太陽エネルギーを使えばエネルギー供給は大丈夫などと言う人も居ますが、そううまい話はありません。

 

太陽エネルギーは地球上のあらゆるところに降り注いでおり、それが地上の多くの状態の根源となっています。

まず地球全体を温めており、もしも太陽エネルギーが無ければ地球誕生の頃から残存している地熱エネルギーのみとなり極低温になるでしょう。

また大気を温めることで対流を起こしますが、これが風を起こす元となります。

地上の水分を加熱して蒸発させ水蒸気とし、それが上空で冷やされて雨となって降ります。これが地上における水循環を作り出しています。

つまり、現在「持続可能エネルギー」とか「自然エネルギー」と言われているものの大半、太陽光発電、太陽熱、風力、水力というエネルギーの起源は太陽エネルギーです。

また、太陽光を絶妙に使う「光合成」という作用を生物は作り出しました。

このために太陽光を直接生物体の合成に使うことができるようになり、地上の生物界を支えているエネルギーのほとんどは太陽光です。

したがって、植物体を直接・間接にエネルギー源として使う場合も実は太陽エネルギーを使っていることになります。

 

このような太陽エネルギーは太陽が寿命に達するまでの間、地球に降り注ぎますので、その範囲内であれば事実上持続的と言うことができるでしょう。

化石燃料エネルギーも大昔に光合成により作り出された有機化合物ですので、起源は一緒なのですが、長期間にわたる太陽エネルギーの貯蓄のようなものですので、使い果たせば無くなるという意味で持続的と言うことはできません。

 

それなら、太陽光発電風力発電水力発電で電気エネルギーとして取り出せば、持続的に使えるのか。

そこが間違えやすいところであり、勘違いしている人が多いのでしょう。

実はこれらのエネルギーは非常に希薄なエネルギーであり、それを捕捉し集中させることで使えるようにするためには大きな装置が必要となります。

それらの装置を作り出すためには多大な資源とエネルギーが必要となります。

これらの入力エネルギーが過大であり、その装置から作り出せる出力エネルギーが少なかった場合はその装置を作り動かすだけで出力エネルギーが消費され、外部に取り出せる分がわずかということにもなり兼ねません。

 

それでもなお、そのような危うい道を選ぼうとしているのか。

そこが「エネルギーに依存している現代文明」の持つ危険性の故です。

化石燃料を使うことで多くの科学技術を発展させ、それがまた資本主義の拡大を支えたために多大な発展が成し遂げられました。

しかしその化石燃料が使えなくなりそうだということで、持続可能エネルギーをその代わりにしなければ現代社会自体が壊滅しかねないということが予感されています。

そのために理論的に危ういものだろうが何だろうが、代替エネルギーが「なければならない」という観念に多くの人が囚われてしまっています。

代替エネルギーが「可能かどうか」などと言うことは考えようともしません。

 

しかし、どうあがいても化石燃料の使用は難しくなります。

結局は水力や風力と言った自然エネルギーに頼らざるを得ません。

しかし、その場合の実現可能性があるものは、ごく小さな設備で稼働するような小規模水力・風力発電でしかないでしょう。

そこから得られるエネルギーもごく少量のものです。

その程度のエネルギーで動くような社会だけが「持続可能社会」です。

電気として使えるのもせいぜい夜間の照明用の電燈や食糧の調理用の電熱器程度かもしれません。

 

このように、「持続可能な社会」を作ろうとしている動きを妨げているのは、「過大なエネルギー欲求」です。

現在のような過大なエネルギー消費に依存している文明社会というものを保とうとする限り、持続は不可能です。

結局は隠れて化石燃料を使ったり、天然ガスは大丈夫と言わんばかりの態度で誤魔化したりということをするだけで、全く持続というものとは関係のない方向に進んでしまうのでしょう。

 

(続く)