爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

高齢ドライバーの事故が頻発しているかのような報道で何をしようとしているのか。

昨日も全国各地で高齢ドライバーの事故が発生し、緊急事態かのような報道が流れています。

news.yahoo.co.jpこの他にも静岡で小学生の列に突っ込んだり、熊本でスーパーに飛び込んだり、それが皆「高齢」だということです。

 

どうせこれでまた、高齢者は免許返納しろと強制するような風潮を作っていくのでしょう。

 

私もすでに高齢者の部類に入り、さすがに身体のあちこちに老化を感じ、若い頃のようには行かないということを実感するようになりました。

しかし、東京を始めとする都会であれば公共交通機関を利用すれば何とか車無しでもやっていけるのでしょうが、地方に来ればそれがまったく不可能であることは間違いありません。

 

私の住む熊本県南の田舎町でも、町の中心に近い所ではまだ色々な商店や銀行、郵便局が1km以内にはあり、自転車に乗れば何とか用は足せますが、私の住む少し町はずれでは商店の最寄りのところが1km、郵便局も1km、病院も同様で他の施設はそれ以上です。

さらに、妻の母親が住む実家はここより5㎞ほど離れた田園地帯の真ん中ですが、そこになると最寄りの施設でも2㎞以上離れており、年寄りでは自転車でも難しいことになります。

 

しかし、その地域でも50年以上も前には何でも屋のような商店もすぐ近くにあり、郵便局や役場の支所もあったのですが、皆が車を使うようになるにつれそういったものは徐々に廃止されて町の中心部に集約されていきました。

つまり、現状は車社会の進行につれて変わってきた結果であり、そこで車を使えないということは社会からはじき出されるも同然のことなのです。

 

妻の母も生活を維持する活動が何ひとつ自分ではできなくなり、妻が毎日買い物から病院、役場の用事まですべてやるために通っています。

 

このようにすべてを車使用を前提とするような社会に変えてしまったのに、年を取ったからと言って車使用を禁ずるかのような事にするということが進行しています。

 

加齢ばかりでなく、病気やケガなどでの自動車運転も大きな問題でしょう。

本当は車社会そのものを考え直さなければならないのですが、それがすぐにはできないのでしたら、こういった交通弱者という存在をどうするか、場当たり的ではあっても考えなければならないのでしょう。