著者の近藤さんは、エンジニア勤務のあと自営業を営んでいるということですが、それよりもネットでホームページ「環境問題を考える」というサイトを運営し、多くの環境に関する発信を続けられている方です。
実は、私も環境問題に関心を持ち始めた頃にネットを探し回り、近藤さんのホームページに出会って以降は多くのことを教えてもらいました。
このサイトを開設されたのは2000年ということですが今でも頻繁に内容を更新され、誤った環境意識の是正に尽力されていると感じます。
本書は、そのような近藤さんの活動の中から特に「電力」に関するものを取り上げたものとなっています。
出版が2012年12月ということですので、福島原発事故についての記述が多くなっていますが、そればかりでなくいわゆる「自然エネルギー発電」の欺瞞、さらに二酸化炭素温暖化説についても触れられており、近藤さんの主張の多くが収められているようです。
惜しむらくは、そのために少し焦点がボケてしまったかもしれません。
本書構成は、第1章から第4章までは原発事故と放射能汚染問題についてとなっています。
福島原発事故直後ということで、政府や電力会社の批判も激しいものとなっています。
第5章は「脱原発=自然エネルギー発電」のウソと題し、いわゆる「自然エネルギー発電」というものが、いかにエネルギーを無駄にしているか、そしてそれを利権として群がる金の亡者たちとそれに吸い取られる庶民の金と言った問題を扱っています。
第6章は、「人為的CO2地球温暖化仮説と原子力、自然エネルギー」と題し、潰れかかった原子力発電、そしてその後の自然エネルギー発電というものが、ほとんどメリットもないところから無理やり地球温暖化を持ち出すことによって強引に普及を図ってきた裏側を解説します。
第7章は「持続可能な社会とは何か」
皆が合言葉のように使う「持続可能な社会」ですが、本当の意味が分かっている人はほとんどなく、「持続可能な経済成長」などというまったく無意味な使い方をする人すら現れる状況で、現在の「工業化社会」はまったく持続可能ではないことを論証します。
そして最終章「フクシマの教訓」
これまでの「科学性が欠落した日本のエネルギー戦略」がどこまで日本という国を蝕みどうしようもない状態にしてしまったか。
これからでも国民の科学的政策判断力を養い、正当な政策に変えさせる必要があるとしています。
「環境問題を考える」というサイトをずっと読んできた私から見れば、本書の主張はほぼそれをまとめたものということで理解できますが、一般の特に経済人にはどこまで受け入れられるか、難しいかもしれません。
近藤さんの議論の素晴らしいところは、データと数字、そして適切なグラフや表の使用でとにかく分かりやすいということです。
「オール電化」の誤りを解説する本書P114の部分もそういった記述となっています。
電力は最終エネルギー消費量として20%程度を占めているにすぎませんが、エネルギー転換部門全体の損失の実に72%に達していることがわかります。つまり、電力を使えば使うほど最終エネルギー消費で同じ効果を得るために必要な一次エネルギー量が増大するのです。
発電というもの、そして送電によって失われるエネルギーというものを考えなければならないということです。
例えば家庭で湯を沸かす場合の熱効率を考えてみましょう。ガス湯沸かし器を用いればその熱効率は90%を越えています。(中略)
これに対して、オール電化の電気温水器ではまず火力発電所で1単位の熱を投入することで0.4単位の電力を得ます。これを家庭まで電線で送り、電気温水器で熱に変換すると、湯を沸かすために有効に使われる熱量は0.3単位程度になります。
電力というものにエネルギーを迂回させることで、多くの損失を出していることになります。
太陽エネルギーがどの程度地球に降り注いでいるかということは計算上求められ、その太陽放射強度を「太陽定数」というそうです。
これは地球の位置における太陽光に垂直な単位面積当たりの強度であり、
1.366W/平方メートルという値になります。
これを地球表面の平均にすると、
1.366×πr自乗÷4πr自乗となり、341.5W/平方メートルです。
しかし、日本の1年間の人工的エネルギー消費量、すなわち一次エネルギー消費量は、7.927×10の11乗Wとなります。
これを日本の総面積の10%で消費しているとして計算すると、
7.927×10の11乗W÷3.77914×10の10乗平方メートル=21W/平方メートル=504Wh/平方メートル・日
となり、実に太陽光の放射エネルギーの17%に当たります。
これが都市部の高温化に大きな影響を与えているのは間違いないことです。
自然エネルギー転換がヨーロッパなどの先進地では進んでいるという主張に対しても、実態が違うということを主張します。
しかし、デンマークのような小さな送電線網の中ではそのような変動する電力は処理できないため、風力発電の発電量の8割はEUの巨大マーケットに安値で輸出し、その代わりに安定電力を輸入しているそうです。
その結果、実質の風力発電の割合は2003年で3.3%に留まっています。
蓄電池とスマートグリットを組み合わせ実用化を図るという話もありますが、実勢価格で住宅用蓄電池2kwhで100万円台前半、そしてその装置の寿命はせいぜい10年ほどなので、太陽光発電パネルの標準耐用年数17年の間に蓄電池は一回更新しなければなりません。
そうなると17年間の装置費用は、発電装置と蓄電池を合わせて560万円。
これに対しその期間の総発電量は51000kWh となりますので、電力原価は
560万円÷51000kWh=110円/kWhとなり、途方もなく高価な電力となってしまいます。
本当の「持続可能な社会」とはなにか。
それは地球が定常開放系というシステムであることを考えなければいけません。
地球には一定の太陽エネルギー供給がありますので、「閉鎖系」ではないのですが、エネルギーを受け取り放射して放出する以外の物質放出は殆どありません。
そのため、受け取る太陽エネルギーを使って循環できるだけの活動であれば、太陽光が一定の量のエネルギーをもたらしてくれる間は持続可能と言うことができます。
しかし、「工業化社会」においてはその太陽光エネルギーによる循環以外に地下資源(鉱物や化石燃料)を掘り出して使用し廃物を放り出すということをしています。
これがある以上、このシステムは持続可能ではありません。
いつかは地下資源は枯渇し、廃棄した物は環境に溜まってしまいます。
工業化したこの社会は極めて特殊な文明となってしまいました。
しかし、人間社会ができたのはわずかに1万年前、そして工業化したというのはさらにこの100年ちょっとの間のことに過ぎません。
石油や石炭の枯渇であっという間に終焉を迎えるようなものなのです。
このまま行けば、そのような終焉=破局的終焉を迎えるだけです。
それを避けるにはこのような工業化社会から段階的に撤退し生態系の定常性に基盤を置く人間社会に穏やかに移行するしかありません。
電力化亡国論―核・原発事故・再生可能エネルギー買収制度 (シリーズ環境問題を考える)
- 作者: 近藤邦明
- 出版社/メーカー: 不知火書房
- 発売日: 2012/12
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
やはり、私のこのブログでの主張の多くは近藤さんに影響を受けているのは確かでしょう。
それに少しでも付け加えられるように、考えなければ。