爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

”賀茂川耕助のブログ”を読んで、No.1270高度経済成長時代の日本

賀茂川さんのブログ、「高度経済成長時代の日本」を論じています。

kamogawakosuke.info最初は「ワシントン・コンセンサス」、つまりアメリカ政府とIMF世界銀行アメリカの戦略の一環として行っている途上国融資と新自由主義との関係について書いています。

新自由主義の押しつけが融資の条件とされ、その融資を受けても成長に結び付けられるはずもなく、返済に苦しむだけということですが、それはそうでしょう。

 

そして、その道を歩まずに独立の経済運営を貫く中国のみが成長を成し遂げた。

その路線をお膳立てした鄧小平が当時の日本の高度経済成長を見て感銘を受け、自国の進むべき道を決めて成功したという見立てです。

 

鄧小平氏が感銘を受けた高度経済成長時代の日本は、企業は欧米から技術を導入し積極的に設備投資や技術革新を行っていた。国民の高い貯蓄率のもとに集められた預金は銀行を通して企業の資金に回され、設備投資資金に充てられた。農村から都市へ流れる勤勉で優秀な労働力があり、終身雇用・年功型賃金により民間企業で協調的な労使関係が形成された。

この道を捨ててアメリカの言うとおりに新自由主義路線を取らされた日本は没落したということです。

 

失ったこれらのやり方を取り戻せば、あの高度成長の夢がもう一度見られるということですが、それはどうでしょう。

 

私の見るところでは、石油などのエネルギーへの依存度を急激に高める時期が、ちょうど日本の戦後復興と重なり、経済成長のように見えていただけというのが日本の「高度成長」であり、世界的なエネルギー転換の恩恵が(あるいは”罠”が)たまたま条件の揃っていた日本に集中しただけのように感じます。

言ってみれば、エネルギーの罠が一気に押し寄せた異常事態が「高度成長」であり、そちらの方が「狂っていた」と見た方が正しいのでは。

 

「持続的定常社会」では「成長」はありません。

誰かが「成長」しているかのように見えた時は、弱者から奪い取っているだけです。

現在の「中国の成長」も、トランプが怒り狂っているようにアメリカや日本、EUの成長部分を奪い取っているだけです。(それが悪いかどうかは知りません)

 

いまだに「高度経済成長」が良かったとか、「バブル経済」が懐かしいとか考える人々が多数居るようです。

夢を見るのは勝手ですが、できないものはできないということでしょう。