爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

民主主義とは何か(まだ考えがしっかりとはまとまっていませんので、試論です)

選挙が近づくと、これが民主制であるので棄権は避けようとかいったことが繰り返し語られます。

しかし、この「1票を投じる」ということだけが民主主義なのか。

政党の名前にも「民主」が入っているものが多いのですが、本当にそれらの政党に民主主義があるのか。

色々と疑問が湧いてきます。

 

民主制の対義語は独裁制でしょうか。

誰かの意向だけが政治を動かす。

それは歴史の中だけの話ではなく、現代でも一党独裁制の中国には民主主義はありません。

 

民主制はギリシャに始まると言われます。

古代ギリシャでもアテナイなどの都市国家では住民のうち自由民の男性が統治に携わりました。

しかし記録には残っていなくても、それより前の狩猟採集時代には事実上民主制であったのかもしれません。

数家族がともに行動していたでしょうから、狩りのリーダーは居てもさほど強圧的な態度は取れなかったでしょう。

それが独裁制になったのは、農業を始めて特に四大文明と言われる大規模灌漑農業の地域では生産体制も集中せざるを得ず、そこから一般大衆は政治を考えることを止め労働だけに特化していったのでしょう。

 

ギリシャでは大規模農業が実施できず、放牧と小規模農業程度であったために民主制のまま発達したと考えられます。

 

その後の歴史でも生産体制が整い規模が大きくなったところ、すなわち帝国では民主制は取ることができず独裁制にならざるを得なかったのでしょうか。

 

ここでいささか乱暴ですが、まとめてみましょう。

「小規模な社会では民主制を取り得るが、大規模社会では独裁制になる」

 

歴史上の民主制を取った社会がどうであったか。

ウィキペディアによれば民主制社会というのは次のような所に限られます。

民主主義 - Wikipedia

古代のギリシャ、ローマ

中世の古代ゲルマン社会のディング、イタリアの都市国家、日本の堺などの自由都市

近代のアメリカ合衆国、革命後のフランス

現代の欧米各国

 

どうやら小規模社会以外にも商業中心の社会でも民主制は成立しそうです。

 

ここで一つ反省点ですが、社会全体として民主制ではなくても下部組織は民主的に運用されているという状態もあり得ます。

日本でも室町時代から江戸時代にかけての農村社会では、領主の支配というものは形式的であり、年貢さえ収めていればその他の統治は自治組織に任されていたようです。

そこではリーダー的存在の者はいるでしょうが、その独裁ということはなく、構成員の寄り合いで決議されるという民主制とも言える状況もありました。

江戸時代に頻発した農民一揆でも決議文書は誰が首謀者か分からないように円形に署名したという話もありますが、その意味もあってでしょうが実際に首謀というほどのことはなく、合議制で決定されていたのかもしれません。

そのような実態であっても、やはり日本の江戸時代は民主制であったとは言えないでしょう。

社会の各所に民主制が根づいていても、社会全体の統治システムが独裁である場合はやはりその社会は独裁制であると言わざるを得ないでしょう。

 

古代ローマの共和制時代には、男性市民が参政権を持ちましたが、女性や数多くの奴隷にはそれはありませんでした。

しかし、奴隷制という名称で想像されるような、肉体労働や苦役だけが奴隷の仕事ではなく、当時はかなり高度な業務も奴隷の仕事とされていたようです。

家庭の経営、運営(とは言っても貴族の場合は現在の大会社並みの業務でしょう)や子女の教育といったことですら任せられる奴隷が居たようです。

そのような知識階級的な仕事を担当していても奴隷であるというのは、政治に関与しないということがその理由であったということでしょう。

 

現在の日本はどうでしょうか。

どんなに大企業などで働いていても、どれだけ巨額の金銭を動かしていても、政治に背を向け選挙すら棄権というのは、古代ローマの価値観で言えば奴隷の境遇であるということです。

言ってみれば、現代日本奴隷国家のようなものかもしれません。

ただし、前段の論旨にそえば、「社会全体が奴隷制であっても国の統治システムが民主制であれば民主主義国家と言える」ということです。

まあその結論には非常に違和感はありますが。

 

ああ、やっぱり全然まとまりが付かなかった。

しかし、このようなダラダラ文ですが、まだまだ続く。かも。