内田樹さんのブログ「研究室」で、ある週刊誌からコメントを求められて書いたけれどボツにされたので載せておきますという文章です。
五輪の開会式に関わった人物が相次いで昔書いた文章などが露見し、降板をせざるを得なくなったということについて、このようなネット時代には誰でも昔の旧悪が暴かれるようになってしまうのではと言う危惧が出てきたと言うことです。
それに対し、内田さんは「その作業は決して簡単ではない」としています。
例えば内田さん自身を陥れようとしてこれまでの発表文章をひっくり返して差別的考えを示していたものを探そうとしても、かなりの作業量となりしかも成功する可能性も極めて低い。
「ネットで検索すれば簡単に旧悪がばれる」ということはないだろうということです。
今回、問題になった人たちも、実際には「旧悪」ではなく「新悪」ではなかったのか。
かつての間違いを気にかけ、常に改めようとしている人の旧悪を、わざわざ暴こうとする人はないでしょう。
ということなんですが、私が書いているのはこのブログと、あとは付き合いのあるところへのコメント書き込み程度、その中から不適当な発言を探すのはさほど難しくはないのでは。
内田さんのように著書も数多く、発言も膨大な人なら探し出すのが難しいということもあるでしょうが、人によるのかもしれません。
まあ、気を付けておいた方が良いのでしょうが、しかし目に余る問題に発言を控えるということもできず、仕方ないでしょうか。
そもそも、もう日の当たるところに出ることも無いでしょうし。