爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「内田樹の研究室」より、「『コロナ後の世界』文藝春秋まえがき」

内田樹さんのブログ「研究室」で、出版される本のまえがきと言うことで掲載されていました。

blog.tatsuru.com

既に発売になっているのかどうか、同じような書名がいくつもあって分かりません。

 

しかし、この「まえがき」の部分だけでも感じる言葉がありました。

 

「人々がどんどん不寛容になり、”言葉が尖ってくる”」そうです。

たしかに、多くの問題で論争が起きていますが、そこでは冷静な議論などは無く感情的な罵り合いということが多いように見えます。

 

内田さんが例に引いていたのが、かつての左翼の内部での争いでした。

ともに革命を目指すはずの仲間同士で、「はしなくも階級意識の欠如を露呈した」などという文句で罵倒し合っていたということは、私も学生時代によく目にしたものです。

そして、同様の事態がその後もフェミニズムポストモダニズムの中でも起きていたということです。

 

それが全社会に拡大してきたと言うことでしょうか。

 

それに対し、「ダイバーシティインクルージョン」(多様性と包摂)という標語も言われています。

しかし、こちらには内田さんは「上から目線・中から目線」を強く感じてしまいます。

「多様性を認めて包摂してやろう」という考え方が、初めから自分を「包摂する側」に置いているから上から目線になるのだと。

しかし、ここで「はしなくも、無自覚な優位性・内部性を露呈し」などと言ってしまうと元の木阿弥なので言わないということですが。

 

それに対して内田さんが言っているのが「親切にしましょう」です。

なにやら小学校の標語みたいですが、日本人が今もっともできなくなっていることだということです。

「こどもでもできることを大人ができなくなっている」

それが現在の日本です。

 

どうも、私のブログの書き方もあまり「親切」ではないので、ちょっと反省してみましょうか。