爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「日本植民地探訪」大江志乃夫著

歴史学者で日本近代史が専門の大江志乃夫は、1995年日本敗戦から50年が経過したころにその機会にかつての日本の植民地を回って見ることを思い立ちます。

その時大江は60代後半でした。

1945年の敗戦時にはまだ学生でしたので、戦前の植民地時代には訪れたことはありませんでした。

その後、簡単には行くことができないところが多かったためもあり、長い時間が経過してからの訪問となりました。

 

とはいえ、その旅行は特別に学術的調査のためと言うわけではなく、いろいろな団体のツアーに奥様と一緒に夫妻で参加という、観光旅行のような体裁のものでした。

さすがに歴史の専門家ですから観光旅行ではあっても訪れたその地の戦前戦後の出来事も熟知しています。

 

この本でも訪れた際の光景やエピソードとともに、かつてそこで何があったのかということも詳述されています。

 

訪問先は、サハリン、南洋群島トラック島など、中国関東州旅順大連、台湾、韓国、北朝鮮でした。

 

最初の章はサハリンでしたが、その冒頭はあの岡田嘉子と杉本良吉のソ連越境という事件から始まりました。

たまたまこの前のNHK朝の連続ドラマでもその事件が扱われていましたが、大江さんの文章でもその事件の詳細がつづられています。

もうすでに共産党も非合法化されていたため情報がまともには入らない状態だったのですが、二人が越境してソ連に入ったその時には彼らが頼ろうとしていたソ連人の演劇家も粛清され逮捕されていた状況だったということで、知らないとはいえその後の厳しい運命がすでに決まっていたとは。

 

しかし、サハリンの現状(1990年代)は日本からの投資も大幅に受け入れるようになり、経済成長が始動し始めたというところのようでした。

 

南洋諸島訪問の旅は船での旅行であったのですが、あの有名なマダガスカル島、激戦の地を見た時はかなり驚いたということです。

かつてはその熱帯の密林の中で多くの兵士が飢えとマラリアで死んでいったのですが、驚いたことに現在では密林はまったく消え去り、ただの草山と化していたそうです。

これは戦後、日本からの賠償も受けて農地開発が大々的に行われ、カカオの畑などになったのですが、その後農地として使われなくなっても森林の再生はされず放棄されて荒れ地となってしまったようです。

 

戦争史にも詳しい大江さんですので、南洋方面の戦略も日本軍はまったく不合理で計画も何もなかったと断じています。

アメリカは太平洋島しょ部が戦闘地域となることを見越して軍隊の構成を変更し、新たに海軍から海兵隊を独立させて育成し、水陸両用戦部隊としました。

しかし、日本軍はそう言った見通しも全く無く、海軍と陸軍が勢力争いを続けながら無計画に基地を作っていただけだったそうです。

ラバウルの航空基地からガダルカナルまでは1000㎞もあるにも関わらず、そこにさらに航空基地を作るということがどういうことなのか。

たとえ完成してもラバウルから中継基地無しにガダルカナルまで飛来することは難しく、建設の意図がまったく不合理だったということです。

 

「旧植民地訪問の旅」とは題されましたが、「現在の彼の地の描写」はそれほど多くは無かったのは、少し物足りないことかもしれませんが、戦前の歴史を知りたいという用途には非常に参考になるものだったと言えます。

 

日本植民地探訪 (新潮選書)