爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「説明」が何かと言うことすら知らない総理に「説明」してやろう

菅総理は学術会議会員の任命を恣意的に拒否した件につき、「説明」したつもりのようです。

www.nikkei.com

しかしこの話の内容を見ても、ただこれまでの学術会議会員任命の制度に対して、政府側が不満を持っていたということを述べただけです。

 

そして、肝心の「なぜ任命しなかったのか」ということの説明はせず「個別の人事についてのコメントは控えたい」と答えただけでした。

 

これがなぜ「説明」になっていないか。

 

国民側が説明を求めるのは、「知りたい内容」があるからでしょう。

それに対して答えるのが「説明」であり、自分が言いたいことを言うだけなのは「説明」ではありません。

 

この意図的な取り違えぶりは、「ご主人様」がやっていた通りのことをさらに強化しただけの対応ぶりです。

 

国民が説明を求めているのは、まさに「個別の人事のその理由」です。

なぜ、加藤さんを外したのか、なぜ松宮さんを外したのか、その理由を聞きたいのです。

 

「個別の人事の理由」には通例その人のプライバシーにかかわることも多いために、公表を差し控えるということもあるのでしょうが、この場合はその理由をこれ幸いと流用して自らの汚い下心を覆い隠しているように見える(誰が見たってそうでしょう)からいけないのです。

 

説明はあくまでも聞きたい側の求める内容に即すべきであり、自分が話したいことを垂れ流すのは説明とは言いません。

 

それにしても、この話を新聞記者たちはただ拝聴するだけだったのでしょうか。

こんな簡単なことは優秀な記者さんたちなら誰でも分かる道理のはずですが、それを言おうともしなかったのでしょうか。

まさに、腐れ切った政権に腐れ果てたマスコミという図式でしょう。

 

 

さて、この話題を見ていると「学術会議も問題だ」などという論調も見かけますが、確かにそうでしょうが、これも「今言うことか」ということです。

政権べったりの論者がかなりの割合を占めているということでしょうか。