爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「歴史の証人 ホテル・リッツ」ティラー・J・マッツェオ著

パリのヴァンドーム広場にあるホテル・リッツは最高級ホテルの一つとして最上級の宿泊客たちが次々と名を残してきました。

 

この本は、その中でも特に第2次大戦前後のナチスドイツのパリ占領時の周辺での、ホテル・リッツで起きた数々の出来事を記しています。

 

スイスの農民の息子として産まれパリでホテルのウェイターから修行を始めたセザール・リッツが1898年に建てたホテル・リッツは、はじめから最上級の品質を意識して建てられたもので、当初から上流の人々によって使われ、それがさらにその評判を高めていきました。

 

本書に描かれる人々は各界の有名人たちです。

マルセル・プルーストジャン・コクトーアーネスト・ヘミングウェイロバート・キャパ、ココ・シャネル、マレーネ・ディートリヒウィンザー公爵夫妻、

特にヘミングウェイナチスのパリ占領の前後にホテルに長期滞在し、そこで国王のように君臨しました。

 

ナチスドイツがフランスを占領した際には、パリには攻撃を加えずその価値を守り、さらに軍の指導者たちはホテル・リッツに滞在しました。

そこにはドイツの支配を受け入れた上流階級の人々も残っていたために、その女性たちとドイツ軍人の情事も見られました。

また、ドイツの支配に協力した人々も数多く出現しました。

 

彼らがその行動のツケを払わされる日はすぐにやってきました。

ノルマンディー上陸を果たした連合軍は、その後の進軍は遅かったもののやがてパリに到達することになります。

パリ爆破を命ぜられたドイツ軍もそれをサボタージュしほとんど破壊もされないままパリはフランス軍と連合軍により解放されますが、それはドイツ協力者で逃亡に失敗した人々にとっては運命の終わりでした。

 

多くのエピソードが語られますが、印象的だったのは戦争前にもホテル・リッツの「パパ」として君臨していたヘミングウェイが、連合軍のパリ解放と同時に戻ってきて「ホテル・リッツの解放」をしたということです。

この一番のりを果たすために、ヘミングウェイは従軍記者という身分でありながら、軍の指揮官に取り入り、自分専用の兵隊を付けてもらい、それを使ってホテル・リッツへ最初に乗り込むという目的を果たしたそうです。

ホテルはドイツ軍の撤退の時に多くの品々を略奪されていたのですが、支配人の機転で最高級のワインだけは隠してありました。

ヘミングウェイはそのワインを浴びるように飲んだそうです。

 

第二次大戦を兵士の側から、被害者の側から見た映画や小説というものは良く目にしますが、その中で贅沢をしていた人々の話と言うのは新鮮に見えます。

日本でも軍に取り入って私腹を肥やした人々と言う話も聞きますが、それも戦争の一つの面なのでしょう。