爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「差別はいつ悪質になるのか」デボラ・ヘルマン著

「差別」という言葉には「悪い」という価値判断が伴っているのは、日本語でも英語でも同様なのですが、ここでわざわざ「悪質になる」としたのは、さほど悪くない差別もあるということで、それが「悪質」とみなされるようになるにはどういう背景があるのかということを論じています。

 

なお、翻訳者の池田喬・堀田義太郎さんが訳者あとがきで書いているように、微妙な問題が多くて訳語をどうするかはかなり悩んだようです。

discrimination には「差別」という言葉を当てたのですが、類似した表現でも、distinction には「区別」、differentiation には「差異化」という言葉を当てました。

また、表題にもなっている「悪質」はwrong ですが、wrongful は不当、不正としました。

さらに、本書の鍵となる概念である demean は「貶価」としました。

これはあまり使われない言葉ですが、他者の道徳的な価値を貶めるという意味を端的に表すために使ったということです。

 

差別というものが「悪質かどうか」について、実例、ありえない例、などを数々あげて考えさせます。

ある会社で、名字がAで始まる候補者は雇わないことにした。

テヘランのある大学で、学力ではなくイスラム教に根ざした政治活動歴によって入学者を選抜した。

ネルソン・マンデラが服役していた刑務所で、黒人受刑者は短パンを履くことを強制され、白人受刑者は長ズボンをはくことができた。

ネバダ州のあるカジノ運営会社で、従業員の女性は必ず化粧をすることとし、男性は化粧をすることを禁止した。

デラウェア州のある老人ホームで、入居者の大部分が女性であったので入浴やトイレなどを介助する職員に女性しか雇わないこととした。

 

これらの例のうち、実例に関しては訴訟となって裁判所で判決が出たものもあります。

 

こういった「差別」(区別と呼ぶべきものもあるようですが)は、不合理ではあっても悪質とは言えないものもあります。

Aのつく求職者は雇わないなどというのは全くの不合理ですが、それは悪質とは言えません。

その背後には女性差別や人種差別といった歴史がないからです。

 

しかし、黒人には短パンをはかせるとか、女性には化粧を強制するといったことは、これまでの差別の歴史を振り返って対象者を貶価、すなわちわざと貶めるということをしているので悪質ということです。

 

他にも非常に複雑で厳密な議論が続いていきます。

差別は日本社会でも無縁ではありませんが、ここまで厳しい議論をした人は居ないかもしれません。

まあ、差別意識の塊のような人でも自分では差別していないと思っているような社会ですから。

少しは、しっかりと勉強する必要があるのかもしれません。

 ただし、テキストはもう少し易しいものが適当でしょう。

差別はいつ悪質になるのか (サピエンティア)

差別はいつ悪質になるのか (サピエンティア)