爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「右傾化・女性蔑視・差別の 日本の『おじさん』政治」前川喜平・能川元一・粱英聖・編集粱永山聡子

題名を見るとちょっと「なんだ」と思わせるようなものですが(特に中年以上男性の場合は)、それはあくまでも目を引くためのもので、実際には安倍政権以降の露骨な右傾化、そしてそれの中に含まれる女性蔑視、差別という体質を厳しく糾弾しようというものです。

したがって、その対象には「おじさん」以外の女性議員なども入っています。

 

内容は、著者の欄に書かれた3人と編者の粱永山聡子さんが対談をしてまとめたもの、および最後には編者が韓国と日本の社会運動について比較した文章を入れています。

これは編者の粱永山聡子さんが在日韓国人三世ということからということです。

 

最初の「教育の右傾化とおじさん政治」は前川さんとの対談の部分で、前川さんは現在は政権批判も厳しく行っていますが、以前は文科省の高級官僚として勤めており、その頃の内情も含めていろいろと披露しています。

なお、さすがに在勤時は表立って反抗するわけにもいかなかったようで、面従腹背で仕事はこなしていたそうです。

 

第二章「日本の政治を取り戻す」は能川さんとの対談です。

安倍政権時代の問題点を挙げ、その特徴をまとめると「慰安婦」問題も見えてきます。

 

第三章「日本ではなぜレイシズムが理解されないのか」は粱英聖さんとの対談。

粱さんは日本のレイシズムというものに敏感であり、アメリカなどの露骨なレイシズムとは違うものの、大きな問題であるのですが、それを日本人はほとんど意識していないことを理解しています。

なお、日本で何か問題が勃発すると「被害者に寄りそう」ということが言われることが多いのですが、レイシズムに関してはそれは意味がないということです。

まず「加害者に行為を止めさせる」ことが為されなければ、ますます被害が広がります。

しかし日本でのレイシズムに対する意識の低さからか、加害者は放っておいて被害者だけを見るような傾向があるそうです。

 

最終章、「韓国と日本を考える」は編者の文章ですが、韓国の国情などを紹介する日本のメディアはどうしても韓国が遅れているといった見方をしがちです。

しかし市民運動の広がりを見ていると遅れているどころか日本よりはるかに市民社会というものの成熟を感じます。

元大統領の糾弾が為されると「だから韓国は」などと言われますが、実際には政権に何があっても声を上げない日本の方がよほど問題でしょう。

韓流ブームなどと言われますが、ファッションや芸能などには注目が集まります。

しかし肝心の市民運動にはなかなか目が届かないようです。

このあたりも若い世代に期待したいところです。

 

間違いなく「おじさん」いや「おじいさん」の私ですが、右傾化・女性蔑視・差別とはあまり関係ないはずですので、さほど読みにくいものではありませんでした。