爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「はじめての中国語『超』入門」相原茂著

昔は外国人なるものは都会に行けば居たかもしれないけれど、田舎町にはほとんど関係のない存在でした。

しかし、最近では熊本南部のわが町にも農業研修生という名の低賃金労働者も多数来ており、またクルーズ船でのツアーの中国人もしょっちゅう現れるようになり、いつものスーパーにも時々訪れています。

その多くは中国人のようで、まったく意味の分からない言葉を話しています。

 

おそらくあれが中国語だとは思うのですが、書かれる文字は簡体字とはいえある程度何が書かれているかは想像はできるものの、話される言葉は全く不可解。

そんなわけで、ちょっとは分かるようになるのかもと思い、この「超入門」という本を読んでみましたが、やっぱりほとんど分からないようです。

 

第1章の副題にもなっているように、「中国語 発音よければ 半ば良し」だそうです。

上がったり下がったりの歌を歌っているような「声調」というものがあり、さらに子音も母音も日本語よりはかなり複雑なようです。

 

声調というものは、中国語独特のもののようです。

これまでもそれについての話は聞いたことがありますが、きちんと整理してみたことはありません。

第1声は「高く、平ら」

第2声は「急に上昇」

第3声は「低く、低く、抑える」

第4声は「急に下げる」ということです。

そして、大変なのは、日本語のカナで書いてみれば同じになっていても、声調が違えばまったく違う意味になってしまうということです。

 

「マー」と読む言葉でも、第1声なら「お母さん」第2声で「麻」第3声では「馬」第4声では「ののしる、しかる」という意味となるため、正確に発音しなければまったく伝わりません。

 

日本語も漢字で書いてある部分は中国人があちら風に読めるのですが、それも全部声調や子音・母音発音も中国風に読んでしまいます。そのため、日本人の名前も完全に中国風に読まれるので、誰のことかさっぱり分からなくなるようです。

 

中国語の文法では、英語風に表すと、基本的に「SVO」の構成だそうです。

そして、日本語と違い多くの場合に主語を必ずいれなければなりません。

主語に続いて動詞が入るということで、どうも見た感じは英語に近い雰囲気がするようです。

 

明治期に日本が西洋の事物などを取り入れた際には、漢字を使った造語が多数作られました。

そして、その頃には多く来日していた中国人留学生などを通じてそういった言葉が中国に伝わり広く使われているものもあるそうです。

ただし、そればかりが原因ではないでしょうが、漢字では日本語と中国語とまったく同じ字を使っていながら、意味が相当違うという言葉も多く、これには注意が必要です。

たとえば「告訴」は単に告げること、知らせること

「工夫」は時間、ひま

「勉強」は嫌々ながらすること

といった具合です。

 

日本語は言わずに済ませる語句というものが多いのですが、中国語では略さずに言わなければならないものがあります。

「お茶をどうぞ」と言いますが、中国語では清喝茶、すなわち「飲むお茶をどうぞ」と言わなければなりません。

どのような場合でも主語と動詞を必要とするようです。

 

どうも、同じ漢字を使っているだけに油断しがちですが、まったく違う言語であることを忘れずにいたいものです。

 

はじめての中国語「超」入門 [ソフトバンク新書]

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