爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

お酒の話 酒会社での体験 その2 乙類焼酎の製造

会社の研究所で微生物の基礎研究なんて言うことをしていた私に、酒部門への転勤の話が舞い込み、それを受けたのは40代になった頃でした。

 

酒部門と言っても、現場での仕込みから瓶詰めまで様々な業務があるところですが、最初はまず製造支援の研究からということで、補助部門への配属となりました。

 

その頃はまだ品質管理部門も独立しておらず、製造技術研究と品質管理を両方担当という中途半端な状況でしたが、まあそれ以上に自分の知識経験が中途半端なものですから、いい組み合わせだったのかもしれません。

 

原酒製造としては、当時は米と麦を原料とする乙類焼酎を担当していました。

米焼酎はかつては熊本県球磨地方の地酒として発達してきたもので、当時はその中でも高橋酒造の「白岳」が爆発的に売れだした頃でした。

 

一方、麦焼酎は伝統的には長崎県壱岐地方で発達したものですが、それとはまったく違う形で大分で製造したものが全国で売れていました。三和酒類の「いいちこ」です。

 

それらの先行メーカーがすでに大きなマーケットを獲得している状況で、あとから参入して行くのは相当な努力が必要です。

酒の品質としても先行メーカーを上回るものを打ち出したとしても、なかなか市場で挽回することは困難なものですが、どうやっても品質がそれらに追いつかないという困った状況でした。

 

 

1.麦焼酎

 麦焼酎は、長崎県壱岐で伝統的に作られていましたが、その時代には米麹で作る一次もろみに、麦を掛けとして加えて発酵させ、常圧蒸留をするというものでした。

しかし、「いいちこ」の三和酒類はそれを「麦麹の一次もろみ」に「掛け麦」をして、「減圧蒸留」をし、さらに「イオン交換樹脂精製」をするという製法転換を行ない、その軽い酒質で全国に売り出し成功しました。

 その当時は販売量が清酒などを追い越したといった景気の良い業界でした。

 

ただし、イオン交換樹脂を使うことはどうしても「樹脂臭」という甘ったるい香りを付けてしまうという欠点が避けられず、心ある消費者からは非難されていたのも事実です。

 

そこで、当社としては減圧蒸留までの工程は同様としても、イオン交換は行わずに製品化する方針で検討を続けました。

 

しかし、これを行うとたしかに樹脂臭という臭みは避けられるかもしれませんが、そもそもイオン交換をするという方法の目的ともなっていた、原酒に残るアルデヒドなどの物質が残ってしまうという問題が大きくなります。

 

本来は発酵過程でアルデヒドなどの不純物生成を避けるような方法を取って、イオン交換を不要とするような方策を取らなければいけないのですが、それは至難の技でした。

そのため、当社製品はどうしても「アセトアルデヒド」の混入が避けられずその結果「舌を刺激するような辛味」があるという欠点を持つことになります。

 

(なお、これらの物質が混入していると言ってもその濃度は極微量であり、健康被害などを起こすようなレベルではありません。それでも味を左右する困りものです)

 

2.米焼酎

熊本県の人吉球磨地方で江戸時代から作られていた球磨焼酎は、米を原料とし米麹、掛米で発酵させ、蒸留させたものです。

蒸留はかつては単式常圧蒸留だったのですが、三和酒類麦焼酎で減圧蒸留を取り入れて成功したのを見て、それを球磨焼酎でも採用するようになりました。

その結果、従来の臭みが強く油臭感があるものと打って変わって、すっきりとした味わいの焼酎ができました。

その代表格が高橋酒造の「白岳」です。

こちらもかなり売れていましたが、当時は熊本県内では圧倒的にシェア獲得していたものの、全国的にはまだ麦焼酎の勢いには及びませんでした。

 

ただし、米焼酎にはイオン交換樹脂による酒質の修正といった手法は使うことをしなかったので、どうしても発酵過程での味の確定ということが不可避であり、製法としては難しいものでした。

 

こういった、売れ筋の先行メーカーに対抗して後発参入メーカーがなんとか独自性のある(または先行メーカー製品と間違えられるほどの?)製品を作らなければ、売れないという困った事態だったのが私が担当するようになった頃の焼酎業界地図でした。

 

しかし、当社の米焼酎は、麦と同様にアセトアルデヒドが微妙に多く、辛味が強いということでなかなか売れ行きが伸びませんでした。

どうしてそうなるのか、製法の問題も解明できませんでした。