コロンビア大学教授の著者が人類の食糧というものについての関わりを壮大に語っている本です。
道具や火を使い出した原始時代から、農業を始めて定住した時代、そして現代の化石燃料と遺伝子操作、化学合成農薬を駆使して大量生産を可能にした時代まで、広い知識と視野で適切な解説を加えていると言えるでしょう。
最初の章「鳥瞰図」に語られているように、2007年に世界の人口の過半数が都市生活者になったそうです。つまり、食料生産に携わる人が半数を割ったことになります。
食料生産の効率が上がるにつれて、それ以外の職業を取ることができる人々が増え続けました。それが都市生活者ということになります。彼らは工業や商業、その他の職業に従事し、そのことが人類の文明化ということにつながっていきます。
しかし、これまでも何度も起きたことですが、農業生産というものが何らかの原因により急減し多数の人が餓死しその文明も崩壊したということがあります。それが現在の文明に来ないとは言えないでしょう。
その危機に備えるためにもこれまでの歴史を知ることが必要だというのが本書の書かれた理由です。
地球が生命発生に最適な環境であったために現在のような生命に満ちた星になったのですが、その中では炭素、窒素、リンが循環を繰り返しています。そこには適度な温度、必要十分な水分、地中のマグマの熱による大陸の移動などの条件もそろっていたという事情が好影響を与えたようです。
そこにはある時期からは大量に発生した生物も影響を及ぼしています。
人類は道具と火と言葉を使うことで他の動物を圧倒し繁栄することができました。
さらに、約12000年前から農作物の栽培ということを始め、さらに動物を家畜化して利用するということも見出し、食糧の調達をそれまでより格段に容易にし人口を増やしていくことになります。
しかし、定住し農業を始めた人類はすぐに植物の生育不良に悩まされることになります。肥料というものを知らなかった頃はすぐに土地の栄養分は不足していきました。
窒素とリンというものは作物として収穫し土地から奪われるとそのままでは回復しませんが、唯一大河川の流域で頻繁に洪水が起き上流からの肥沃な土が供給されるところだけは継続して栽培が可能でした。それが大河川流域での文明が起こった理由でした。
それでもその後の文明では常に農作物の収量低下というのが問題であり続けました。
周期的に作物を入れ替える輪作や、排泄物を農地に戻す方策、マメ類の栽培での窒素固定細菌の利用などの数々の方策で徐々に収量を上げる工夫がされていきました。
そのような中で、15世紀のアメリカ大陸の発見というものは旧大陸に対しても大きな意味を持つことになります。
多くの新しい作物、ジャガイモやトウモロコシなどはヨーロッパの人々の生活を変えてしまうものでしたが、もっと大きな意味を持っていたのは南アメリカ西岸に大量に堆積していたグアノと呼ばれる海鳥の糞が堆積したものでした。これが窒素とリンを多量に含む最良の肥料であることを知った人々はこれをヨーロッパや北アメリカに運び農地に散布することで農作物の収量を増やすことができました。
さらにグアノの量が減少してくる頃にはそれに代わってチリの硝石が使えることがわかり、今度はこれを大量に輸送することになりました。結局、南アメリカ発の資源でヨーロッパなどの食料生産が飛躍的に増加したことになります。
他にも他の地域での生産物を船による輸送で安価に移動させることができるようになり、世界中が一つの交易圏として繁栄することになりました。
これは農作物の生産に対して水資源の影響を緩和することにもなります。水が乏しく農業生産が少なかった場所でも農産物を輸入することで多数の人が住むことにができるようになり、これでさらに世界人口が増えることになりました。
グアノ・硝石の供給にようやく陰りが出始めると、今度は究極の対策として工業的な窒素固定が開発されました。ハーバー・ボッシュによるアンモニアの生産でした。
これにより食料生産が飛躍的に増えたのですが、それとともに穀類を家畜に食べさせて食肉とする量が増え、穀類を直接人間が食べていた頃と違い肉や卵乳製品を食べる量が増えるようになりました。
今でも開発途上国が経済発展をすると肉類の消費量がぐんと増加する様になります。その結果、さらに穀類の消費が増えることになります。
ただし、アンモニア合成による窒素の固定化はエネルギーさえ使えば可能ですが、リンは今のところリン鉱石からの供給しかなく、もしも鉱石が枯渇すれば不足することになります。それが何時かというのは不明ですがいつかはやってくるかも知れません。
現代の農業の問題の議論に移ると遺伝子組み換え、化学合成農薬、化石燃料の大量使用による機械化といった問題が大きく、本書でもかなりの文章を費やして記述されていますが、そこは細かくは触れずただ「緑の革命」だけについて述べておきます。
第二次大戦後に食糧供給の危機に対するために農産物収量増のための研究が数多く行われ成果を出していきます。それを「緑の革命」というのですが、その中でも最も業績をあげたと見られるのが、ノーマン・ボーローグです。
彼は小麦のサビ病に耐性を持つ品種改良に成功し収量アップを成し遂げました。
さらに、肥料過多になった状況により小麦の茎長が伸びすぎる弊害が出てきたのをオービル・フォーゲルはなんと日本の短稈小麦の「農林10号(ノーリン・テンと言うそうです)」との交配を行い短稈種小麦の栽培に成功したそうです。知らなかった。
これは稲でも同様の努力がなされ、短稈多収量品種の育成に成功しました。
このような「緑の革命」による多収量の実現は食糧増産を成功させましたが、一方このような品種は化学肥料の多量投与を必要とし、大量の水を必要とするために大規模灌漑設備が作られなければならず、さらにハイブリッド種子のために毎年の種子購入が必須となるなど負の側面も非常に強いものです。
しかし、一旦は収まったかのようなサビ病も再び耐性病原菌が出現し復活してきます。
他の作物でも栽培品種の単一化が進めば病害も出やすくなりました。この先も様々な困難が起きるでしょう。
最後の章で再び人類のうち都市生活者が半数を越えたという事実が説明されます。これは一種類の動物としての人間が変質したことになります。これまでの「農耕する種」から「都市生活をする種」への進化を遂げたのですが、それでも食べなければならないのは間違いがない。それが少数の食料生産者に委ねられているのです。
大きな危険があるのでしょうが、人間の創意工夫で生き延びていくだろうと一応希望的な結論になっています。
著者ははっきりとは述べていませんが、やはり大きな危険性を持つのは水の供給とエネルギー源でしょうね。どちらが減少しても農業生産体制は崩壊しそうです。