爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

横綱白鳳の審判批判問題決着?

大相撲の横綱白鳳が13日目の勝負の判定について批判をした問題は白鳳が謝罪したということで決着しそうです。
新聞の投書欄など見ても、「審判批判は許されない」とか、中には「白鳳の慢心か」などと非難されているようで、批判一色のようです。

しかし、どうもこの問題には違和感を感じます。
サッカーや野球が審判の判定を最終決定とし、ビデオ判定などを補助に使うことはあっても審判が最後には判定してそれに従うこととなっていますが、相撲では行司はその「審判」とは認められずに土俵脇に座っている審判役の親方がその役割を担うことになります。
審判が神聖であるなら、それは選手からも競技団体からも独立してそのスポーツの権威を守る存在である必要があると思います。
他のスポーツでは審判はもちろん競技団体などから給料は貰っているにしてもその独立は保障されているのではないでしょうか。

それに引き換え、相撲では審判とされている親方たちは競技団体の経営陣そのものです。相撲協会の経営方針のままの判定をすることは明らかです。
白鳳も、あの取り組みで右足の甲が返っていて自分の負けと判定されれば納得したかもしれませんが、いい加減な「取り直し」判定であることが受け入れがたかったのではないでしょうか。
相撲の審判団協議になると、異常に「取り直し」が多いのは明らかです。これが経営側の意向で客におもねったものであることも間違いありません。

審判絶対という原則を声高に(エラそうに)叫ぶ前に自分たちの競技審判自体に対する反省が必要なのでは。